世界を垣間見れるお薦め映画

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先入観の壊し方

はじめに、お正月に間に合うように書きたかったが、全然出来てなかったことをお詫びしたい。大体は近くのレンタルショップで手に入れられるものを選んだつもりなのでどうぞー!

そもそも僕が世界を廻るようになってからというもの、色んな物事の視点が変わった。主にニュースやメディアなどから発せられる情報や、それらをモチーフにした映画などの作品なんかがそうだろうか。

よく、ステレオタイプという言葉も使われるが、僕らの頭にある、ものの認識なんかはいつの間にか作り出されたものの中からすり込まれている。

例えば北朝鮮、ヘイトスピーチ、日本政府、イスラム教徒、もしくは沖縄座り込みのおじいおばあや被差別の対象の方々など。

特にテレビなどでの情報ではまるで輪郭がつかめないまま影響の一部分だけが先行される印象なのだが、それもまた人の手でつくられている。

その人の「常識」を決めるもの

それは3つあると想っていて、それが「教育(学校)」「メディア(テレビや新聞)」「家族(周りの大人)」だと推測する。これは多分どこの国でも一緒で、3つと持てに出来ない人もいるだろうが、それも含めてゆくゆくはそれが基準になっていく。

スクリーンの中の話と現実のボーダーライン

さて、これから紹介させていただく映画だが、どういう視点で見るかがポイントである。どんな作品もその物語の一部の視点から切りとられたものという前提を置いていただきたい。映画で見たからと言って全てがそういう現状ではないということ。人の数だけの立場や視点があるから、色んな方向の人間の気持ちをイメージできたらようやくその映画伝えたい世界がとらえられるだろう。

そしてポイントはスクリーンの中だけでなく、同じ時代で実際に怒っている物事としてとらえる視点と、「もし自分がそこにいたら、どうするのか」ということも踏まえてみると臨場感が増すので意識してもらいたい。

お薦め映画

★「世界」10

▼「自由と壁とヒップホップ」→世界の縮図パレスチナで命を賭けてマイクを握る若者達のメッセージ

▼「マルコムX」→キング牧師と同じ時代に相対する黒人差別撤廃運動を犯した男の衝撃の人生

▼「ルワンダの涙」→海外が生んだ「ホテルルワンダ」に対抗すべく内戦被害者によって創られたよって更にリアルに描かれたルワンダ内戦

▼「イノセントボイス」→中南米エルサルバドルで、この映画の監督が幼少期の時代に実際に体験した少年兵の話

▼「トガニ」→韓国で実際にあった障害を持つ子どもの学校で起きた虐待事件の真相に迫る民意が問われる革新

▼「グッドライ」→南スーダンの内戦で両親を殺され、難民キャンプで暮らしていた兄弟達が米国に渡る愛の話

▼「ペルシャ猫は誰も知らない」→規制だらけのイランでとことん自分たちのやりたい音楽を奏でる命がけのROCK

▼「フォレストガンプ」or「大統領の執事の涙」→米国が辿った足跡がわかる歴史巨編

▼「シンドラーのリスト」→ユダヤ人側から見たホロコースト(大領虐殺)における英雄の奇跡

▼「ノーマンズランド」→旧ユーゴスラビア内戦で敵同士だった者達による戦争の意味を問いただす作品

★「邦画」10

▼「あん」→ハンセン病快復者から学ぶ、生きる意味を問う残酷なほどやさしい物語

▼「愛のむきだし」→園子温がぶちかます、実話に基づいた宗教からキョウダイを奪還する愛の惨劇

▼「ヒミズ」→日々絶望の繰り返し。親殺しの中学生がおくる悪人対峙に命を燃やす葛藤の日々

▼「東京難民」→明日は我が身な日本の若者の戦場。こんな国でどう生きる?

▼「光の雨」→60.70年安保に起きた連合赤軍の仲間内に起きた極限の葛藤による悲劇を演じる

▼「闇の子どもたち」→タイにおける児童虐待、人身売買を日本の豪華キャストが送る残酷な裏取引

▼「手紙」→人を殺めてしまった兄を持つ罪人の弟と、彼を支える妻による生きる権利を問う作品

▼「約束」→名張毒葡酒事件でえん罪になったと思われる死刑囚のやり場のない思いを抱き続けた無念すぎる生涯の話

▼「誰も知らない」→これも実際あった子ども置き去り事件。終始穏やかに映し出される悲劇に胸が詰まる

▼「暗闇から手をのばせ」→身体障害者専門のデリヘル嬢を描く差別と偏見を壊す作品

★「ドキュメンタリー部門」10

▼「ボーリングフォーコロンバイン」→米国の高校で起こった銃乱射事件に対し、企業やロックスターなどの動きを重ねる

▼「アトミックカフェ」→米国が行ってきた軍需産業が、いかに地球や人々を壊しているかという皮肉を痛快に描く、マイケルムーアに影響を与えた問題作

▼「ハーツアンドマインズ」→自由な報道が許された最初で最後のベトナム戦争の刻印。

▼「ダーウィンの悪夢」→アフリカにおける、先進国によるしわ寄せの惨劇で生きる強い人々の話。

▼「A」→タブーとされたオウムの人間性をそのまま映す、海外で大喝采を奪った森達也氏による問題作

▼「FAKE」→メディアはどこまで人を欺け、それに乗る人々は個人を追い詰めるのか。僕らが問われるリテラシーと、人間愛の話

▼「アマンドラ!」→南アフリカで行われたアパルトヘイト(人種隔離政策)は人々の想いと唄でぶっ壊した

▼「みんなの学校」→大阪にあるどんな子でもみんな同じ教室で学ぶがテーマの大人も子どもも学べる現場の話

▼「わたしの自由について~SEALDs 2015~」→日本の大人よ、先入観を捨ててあの夏日本の若者がどんな想いで動いたのかを見て欲しい

▼「不都合な真実」→元米国副大統領があかした世界中の環境問題への危機管理はここから始まった

もっと載せたかったがうまくまとめきれんやった。そう、これも一部でしかない。

勿論大きな枠組みで言えば映画も百聞似すぎないかも知れない。もしくはより偏ったイメージも出来るものに変貌する可能性もある。けど、最初にお伝えしたように、どういう視点で世界を捉えるかが大事なので、一例としての知恵にはなるはずだ。

完全ノンフィクションなんてものはない

ドキュメンタリー映画監督の森達也さんも言っているが、ノンフィクション作品とされるドキュメンタリーサエ人の手で創られているが故、誰が創ったかによってそこにその人の主観が入る。よって完全なるノンフィクションなんてないという定義が出来る。

かたや詩人・作家でもあるドリアン助川さん曰く「ノンフィクションが正しくてフィクションは嘘なんてことはない」というご意見もごもっともだとおもう。

ようはどれが正解で不正解なんて愚問はない。

ただ、どんな作品も、自分の姿勢次第で世界を揺るがすほど周りを変えてゆくものになる。

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