今の世界を自分事にする価値

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声の使い方

久々に心が洗われる唄声を聴いた。

その唄は彼女の好きなRAD WIMPSの名曲や、誰が謳っているかもわからないという沖縄の神歌。

ゆっくりゆっくり五指で紡いだアルペジオに、丁寧に途切れそうな声が乗っかっていく。

彼女の奏でるやさしい声からは想像できないほど壮絶な覚悟は、今そのカタチを変えた叫び声として、沖縄の太陽や海に響いている。

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よりやりたいことを求め、沖縄に旅立った妹の生き方

2年前、同僚の妹分が意を決してギター1本だけ持ち、沖縄に旅立った。

やりたいことを仕事にする事を叶えた末の決断。それでもそれより大きいやりたいことがあるならと思い、泣くなく送り出した。彼女に出会ったのも10年前ほどだろうか。それから毎日、シェアハウスで共に暮らしながら、学びと人との向き合いを共にしてきたかわいい妹だ。

そんな妹が探し求めていた宝物を見つけたかのごとく、夢中に学んで伝えていたのが沖縄問題だった。一度うちのスタディーツアーで辺野古に行ったのをきっかけに、沖縄戦、がま、基地問題、高江やその他諸々の沖縄問題に浸かっていった。

歴史も構図も根深く複雑な沖縄問題。唯一の救いと言えば、民意によってしっかりした政治の代表者が選ばれていると言うこと。けどその想いとは裏腹に、絶対的権力の政府によってルールも方針も変えられて島は今も拡大し続けながらしわ寄せの対象となっている。

dsc_0228.jpgもう随分前からこの闘争が続いていることがわかる滑走路建設予定地である「辺野古の海」、そしてまさに今、危機にさらされている「やんばるの森」有する高江に連れて行ってもらった。

小さな島とはいえ空港からは3時間前後も車を飛ばさなければ行けない中、実に様々なところに妹は僕を連れて行ってれた。車中ではこの間沖縄で出くわした事実を聞き、訪問所では僕のことを「兄です」と紹介してくれた。そこにいた方々の顔を伺う限り、ことごとく様々な人にかわいがられている妹の立ち位置を確認できた。

前夜に向かったキャンプシュワブ前・辺野古海前・ヤンバルの森高江のテントでは、それぞれ人々の千恵や意志が籠もった内装が施されていて、その想いが儚くも切ない気持ちにいざなってくれる。

それぞれの想いで考え、行動する命が燃えていた。

それには大変安心して胸がいっぱいになったが、まもなく噂以上の現状を目の前に立ちつくし、思考が停止しそうになった。

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無視から生まれる怒り

日に日に増えていくという立ち入り禁止区域、年内に完成させると公言された高江はまさにそれを遂行しようとする者と、大事な時間と想いを使って必死に声を上げる人々がいた。

山を掻き分けて向かった先には、防衛局・機動隊・警察・警備会社の人たちが作業を続けていた。ひとつのフレーズしか連呼せず、それ以外のコミュニケーションが全く通じない状況で数時間対峙する。こちらも最近出来たというフェンス越しに、こちら側からは思い思いに叫ぶ人、ロングスピーチを伝える人、ひとりに絞って目を見て寄り添い語りかける人。それらに全て、上からの命令であろう無視とお決まりの文句のみの繰り返し。

「これが現実か!」と思った瞬間、言葉が出なくなった。

なんだこれは・・・。同じ国に住む人々のやりとりではない。まるで紛争。言葉が届いているのに、目線と心が通わない状況。

どっちが正しくてどっちが間違ってるとか、正義と悪の戦いでもない。コミュニケーションを取ろうとする者、徹底的に排除・もしくは無視する者。交差する想い。だからこそ、これは有効な活動だと想えた。これでも響かないのか?それはわからない。けど、何もなしでは「仕事だから」と立場を優先させて心なき開発が進められてしまう。

ただ一日二日現状の一部をチラ見した僕が偉そうなことは何も言えないかも知れない。けどそこにいた人々の気持ちくらいは組めるつもりだ。

一見「そんなの関係ねー」「仕方なくない?」との感覚が出てもおかしくないように感じるかも知れない。けど少しだけ考えてみて欲しい。マザーテレサやキング牧師がとやかく言う前に、「無視」したら何もならない。いや、マイナスしかないと思った。

「人殺しの道具をつくる工事をやめてー!」と叫ぶ行動派の人たち。

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俺ら一般市民同士は、この現場ではわかり合うことが出来ないのか・・・

俺らの国のことなのに。

ヤンバルの森を抜ける途中、ものすごく綺麗な森の中、小高い丘からまあるく地球を見渡せる絶景の海を見下ろした。さっきまでの光景が嘘みたいに心が穏やかになる久々に見た綺麗な海。けど少しすればこの現実だけが不安になる中、あの海や森に足を運ぶ人たちはもうずっとこんな想いを通り越して声を上げているのかと想うと頭を抱えてしまう。

だからまた伝える

米国大統領選挙の当日の今朝、病院でテレビを見ていたら白票を投じたアメリカ市民のインタビューが流れていて心が震えた。

「そもそもアメリカには沢山の優秀なリーダがいるのに、なぜこの二人が選ばれたのか。どう考えてもどちらにも一票を入れることは出来なかった」。

既に落胆した表情で50代くらいの男性は眉間にしわを寄せていた。まさにこれである。それでも選挙には行く。僕らは諦めた段階で権力者の思う壺にはまることをどこかでわかっていながら、その投票用紙をいつの間にかどこかに置き去りにしている。そんな世界、納得できなくて当然だ。自分自身がそうし向けているんだから。もうそんなのはごめんだ。

だから僕は今日も学び、伝え続ける。色んな選択を重ねてきた人間の意見に寄り添いながら。

1477523248878.jpgphoto by Yuーri_N

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