「新しい世界の選び方」を続けると言うこと

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「世界はもっと豊かで人はもっと優しい」

この言葉を僕に教えてくれたのは、初めて乗った船で出会ったドキュメンタリー映画監督・作家の森達也さんの言葉だ。今でも彼はこれを心情に、世界を語る。いつだって僕の中では強く響く、大人になればなるほど必要な言葉だ。

なんてことのない、刺激のない毎日の繰り返しに飽きる。そもそも退屈な日常をつまらなく過ごしている大人達はちらほらいるらしいが、彼らもまた知らないだけであると言うことだけは忘れれすにいたいと想う今日この頃。初めて海外に行った日のことを思い出したりなんかしていた。

初めての海外は興味もなかった米国

19歳の頃、音楽専門学校の海外研修として初めて降り立った海外は「百合の紋章」煌めくニューオリンズ。古き良き米国が残ると言われるここはJAZZ発祥の地らしく、未だに一枚も買ったことのないその音楽に触れるために見に行った。17年前の10月だっただろうか。少し肌寒いが、高い空を覚えている。

ハロウィン用の大きいカボチャ、煌めく緑のキャンパス、大きな木を駆け回る野リスに、暗闇を照らす暖炉、土足で入ったホストファミリーの家、彼女から渡されたミニーマウスのぬいぐるみ、オートミールにクランペリージュース、ガソリンスタンドのホースのような物で注がれたペプシ。

見るもの全てが新鮮で、今まで染みついたクソみたいな感覚が洗い流されるようにワクワクした。

透き通った空気の中、カフェデモンドのコーヒーとマルボロの湯気がくゆる目新しい朝。パルプフィクションで見たようなユニークたっぷりな街フレンチクオーターで、名前も知らないメタルバンドのゴリゴリTシャツを買ってまわったバーボンストリート。店のドアは外からも見えるように空いていて、どこにでも生の音楽があった。手書きのボーリング場にもルールが未だにわからないアメフト(タンパベイ・バッカニアーズvsニューオリンズ・セインツ戦!)のスーパーボウルにも、肌の色も限定しないバンドが痛快にグルーヴを効かせていた。

バケツに入ったシュリンプの山、初めて食べたハードロックカフェバーガーやバカでかいコークにワニのフリット、ビーンズスープ。友だちが飛び乗って怒られた踏切のない貨物列車。初めてのカーニバル。

そしてそこで生きている人々の輝き。ゴミ拾いのおじいちゃんにすらROCKを感じる街に心底魅了された帰国後、クソださい面して白ける満員電車に乗って「この国は終わってる」と想った。また、他にもこんな事も感じた。

「じゃあ他の国はどうなってるんだろう・・・」

旅するように日常を生きる

今でもあのとき得た好奇心という感覚のおかげで生きることが出来ている。

それまで自分はどこかこのセカイに対して、知ったような口を利き、ただただ心なき時代に絶望していた。今想えばちゃんちゃらおかしいガキの戯れ言でしかない。

そしてその想いをそのまま乗せてまわった地球一周の航海の数々がなければ、どこかで退屈な日々の大切さもわからずにのたれ死んでいたかも知れないと想うとゾッとする。

それは決してお金や地位ではなくて、「生き甲斐」という者にこだわった僕なりの選択の積み重ねで、そんなものの中から、出会いたかった人々に会えている毎日が続いている。

そう。本当に大事なことは世界のどこにもなくて、日々生きる自分の選択の中にある。

今でも毎日、年齢問わずそんな夢を求めてどうにか叶えようとする人や、諦める理由ばかり並べる人と話す。こう並べてみると明らかなのだが、後者を選んでしまう人々がいかに多いかに驚く。だからこそ前者の生き生きとした人に会えたときが凄く嬉しいし、すぐその違いに気付く。勿論、生き生きして無くても、そこを目指し、自分も毎日も変えたいと現実に挑戦しようとしている人はもっと好きだ。

そう。本当は海外なんか行かなくても出会い次第ではいくらでも気付けるこの日常。

けどその出会いこそが乏しいから路頭に迷うことも否めない。この国だって凄い人たちは沢山いる。これもまた、出合えなければ知らないだけなのだ。

勿論楽しいことばかりじゃない。それどころかドラマのようにうまくいかない困難な日々は続く。だからこそ生きている実感が得られるし、小さいことも大切に想えるようになってきた。やはりそんな体験を実際感じて伝えてくれる人の顔が好きだから、またそれを求める。

そして今日もまた、そんな出会いを求めてやまない人たちに会いに行く。

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