生きるも死ぬも「知って」から

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この時代に生きるということ

実にありとあらゆる情報や選択肢の中から、見せかけの自由に翻弄される現代日本。文明は発達し、人の想像以上のものを創り出すことに成功している人類史上最新の時代。

幕末や大戦もとおりこえ、あの時代の人々が今の世界を見たらなんて言うんだろう。

けど実際、その「自由」を世界で最も使ってないのもまた、日本なのかも知れない。

現実的に考えられる将来は固く閉ざされ、マジョリティの意見に空気を読み、異を唱えればはじかれる社会。決してこれは元気のなくなった若者の問題ではなく、生気を失った大人のせいだと僕は思う。なのに自分のことは棚に上げ、近頃の若もんをディスる大人はよくそんなことが言えると呆れてものが言えない。やろうと思えば出来るけど、その発想さえ持つことも乏しく、目も眩むような退屈な日々を仕方なく生きる人々の群れ。

実際その自由をふんだんに使い、やろうと思っても出来ない人々が地球上に五万といる中で、人はいつの時代も自由を求めてきた。

けどそれらを僕らは本当に価値として見いだし、使い方すらも心得ているだろうか?

我らが手にする「自由」という持ち腐れ

その価値も見出せない者にとってはありがた迷惑でしかない。

誰もこんな未来は不安でいっぱいで「やりたいことなんかない」と言う。

仕事柄10年以上、この国の若者達と接してきて感じたことは、挑戦しなくなったこと。イコール大人がそうだからほとんどの人はそこを目指さなくなった。いや、見えなくなったといってもいい。尊敬する人がいないから、なりたい自分を見つけられない。好きな物語はあっても行きたい場所があったとしても、もはやそれはスクリーやアイフォンの中のものと全く変わらず、いつまでたってもリアルに体感できない。

選ぶ者が選べなくなっているから、結果クソみたいな権力者が選ばれてしまう。

けどそれは一重に知らないだけなのである。

そりゃ毎日ネットや自宅、学校、職場だけの人生なんてたかが知れてる宝くじみたいなもので、それだけが人生と錯覚してもそれはあくまで井の中の蛙でしかない。

だから僕は大海を目指した。そしてあるものに出会ったのである。

答を求めれば思考停止に。問いを求めれば行動開始に

僕が尊敬するアニキ的存在、ジェネレーションタイムズ編集長の伊藤剛さんの言葉だ。

兄貴と初めて出会ったのは今から丁度10年前、サンフランシスコの洋上に浮かぶ僕らの船だった。

彼もまた、退屈な日常から世界に飛び出し、自分なりの表現を構築された方だった。

彼はいつも人々に問いを置いていく。例えば「失いたくない日常はなんですか?」。それらはこの時代に生きる者全てに共通する逃れられない問いを。その問いに対して僕らは初めて頭を抱える。「そんなこと考えたことがなかった」。

セカイを見ることが全てじゃない。けど、この国にいるだけではよっぽど動いて先ほど示した日常の狭い関係図から抜け出して、沢山の人々に出会わない限りこれだけの価値観や人生に出会うことは困難だ。

やりたいことも、信頼できてワクワクする仲間や尊敬できる目標、愛しい人も見つからない人税なんて死にたくなって当然だと思う。

今でも死にたいと願う者よ

そんなことを想ってこれを眺めている人がいるのであれば、この世界を知ってからでも遅くない。

あなたは知らないだけなのだ。あのときの絶望しきっていた僕のように狭い世界で自分のことしか考えてない。本当に相手のことを考えると言うことは、相手の立場になって思いを想像しようとすること。

けど実際それが出来たら苦労はしない。

それでもこの世界には素晴らしい芸術がたくさんある。心をふるわされるドラマ、自分の感情を代弁してくれるような音楽、涙が出るほど壮大な小説、見ているだけでお腹いっぱいになりそうなラーメン、そういう人生を体験したいと願う漫画。

それらは全て自分でも得られるものだから、この世に存在している。あなたが求めるまさにそれのために生まれてきたといっても過言ではない。

やるかやらねーか。

他人事が自分事か。

だから僕は船を出す。人生の選択肢は多い方が面白いから。

この世界のどこかにはあなたの話を聞きたい仲間が必ず現れる。

何ならこんな文章を見つめるあなたのことなら、僕が聴きたいくらいだ。

今までの選択の集大成が今

そもそも生きる時代は選ぶものではなく、選ばれるものだと思う。

そうやって僕らは選ばれ、存在している。

だから選ぶものを変えれば人生も周りの景色も変わる。人も感情も価値観も全て。

それは責任とも言え、自由を使えば使った分だけの責にが伴わなければ成立しないと僕は考える。それが筋なのか、ただのワガママじゃないかの境目だと想う。誰のせいにもせず、自分事として毎日を創り上げる。

諦める理由なんか腐るほど有るし、誰かのせいにしても、投げやりになったっていいことない。

知らないだけで出来てなかったんだとしたら、他にはこんな人もあんな人もいることを知ればいい。

自分が是が非でもなりたい人と、死んでもなりたくない人。

誰と、どこで、何をするために、何を選ぶのか。

結局僕は人を変えたいのではなく、人が持つ価値観をしたい

つまらない世界が一変してようやく見つけた宝箱にも似た奥深い豊かさを。

周りや時代を呪ったって気分が悪くなるだけで、全ては自分次第なことは変わらない。かといって1人で生きているわけでもない。だったら自分が向き合う人を選べばいいだけなんだから。

って考えたとしたら、あなたは今何を選びますか?

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