「桜舞い散る中に忘れた記憶と君の声が戻ってくる」
この曲を聴くと初めて海に出たあの季節を思い出す。朝まで騒いだトパーズ号のスポーツバーが懐かしい。あの頃出会った仲間たちと共に、この空の下で今日も生きている。状況が大きく変わった人もいるだろう。けれども互いがらしく生きていることを願い、それぞれの今日を歩く。桜散りゆくあたりにしてみて新しい季節の中で。
僕もまた新天地での時間を改めて踏みしめ、更に見知らぬ近所に足を伸ばしているが、とにかく京都は平日関係無しに人が多く行き交う街だ。
しかも、海外の人が。ではなぜ首都ではない京都に人が集まるのか。
それはこの国の人が持つものと同じく、古き良き日本というイメージをがあるからに他ならない。
幕末、新選組も活躍した「禁門の変」の舞台、京都御所蛤(はまぐり)御門
世界中から来る人々
そもそも2015年あたりまで京都は「世界観光都市ランキング」でも1位をとっていたそうだ。
今まで世界中の数え切れない(ただ数えるのが面倒くさいだけだけど)世界遺産を見てきた。海外旅行が嫌いなのに(仕事は好き)仕事で訪れたわけだが、今では何気ない週末の散歩が世界遺産巡りになる。
そこで目につくのは、世界中からの観光客の目だ。
前回の航海で共にした山手大学の先生の話によると、観光学で言うと現在は年々訪日外国人の数は増え続けているという。確かに新宿にいたときも海外の人の多さが目についていたが、京都はその倍以上の人が行き来しているように感じる。
それはやはり世界遺産というのもでかいだろう。僕も最初は興味なかったが、その国のことを調べたり訪れたりするときに、まず人が行きたがるのは観光地だ。観光とは日常にはない光を観るもの。そうすることで、人々が残してきたそのものの価値を味わい、世界にはこんなにすごいものが残されているのかとまた一つ視野や見聞を深めてくれる。僕自身、そんな地に実際行ってみてから「これはすごい!」と魅了された場所も少なくない。
そしてまたおもしろいのが世界中から人が集まるところの求心力。以前、エジプトの考古学博物館に行ったときのことだ。一日じゃとても回りきれない古代エジプト文明の謎の遺品の数々が豪華絢爛に安置されているのだが、世界中のほとんどの人種が来てるのではないかという多文化地帯にあっけにとられたことがある。それぞれの風習や言語、格好が異なる中で、同じ時代に同じく浮かんで同じ者を観る。勿論、どのように映っているかは国単位で分けられるものじゃないからまたおもしろい。
それと似たようなことがこの国でもっともおこっているのが京都だろうと確信した。
確かに、京都は語り尽くせぬ歴史と魅力でいっぱいだ。
今、世界が日本に求めているもの
じゃあ海外の人たちは僕たちに何を求めているのか。
未だに侍や忍者がいると想われるステレオタイプのものなのか、武道精神のようなものなのかもしれない。
僕らだって、中東にいけばカフィーヤを巻いてホンモスを食べたいし、キューバにいったらゲバラやカストロの足跡を辿りたいし、ロンドンにいけばキングスクロス駅にいきたい。
そんな感じでわざわざ海外旅行に日本を選んで来てくれる海外の方々の中にも日本に求めてるものがある。大都会や古都の雰囲気やアニメや音楽、それこそ世界遺産に登録された和食かもしれない。
そんなときにいつも自分達が困る日本っぽいものの紹介ならまだしも、歴史や現状なんかはおさえておきたいところだ。
自分自身がそれを強烈に感じさせられたのはペルーのビジャエルサルバドルというスラムだったが、子どもたちが率先してまちづくりを行い、歴史を外に紡いでいた。そんなとき質問された「日本はどうなんですか?」の問いにたいして、僕らは口ごもってしまった恥ずかしい経験がある。
本当に都合のいい話であるが、僕らが海外に訪れる際に楽しみにしていること。歴史を見聞きしたいのか、はたまた有名な観光スポットに足を踏み入れたいのか、本場の味を堪能したいのか、そこにしかない名物を購入したいのか、伝統舞踊や音楽を観たいのか。そのどれも僕らは与えようとはしてなかったし、与えられなかったのだ。
これが歴史認識なのか、教育なのかはイロイロあるだろうけど、それからだ。もっと日本を伝えられるようになるほど知りたいと思ったのは。
ひとそれぞれの求めることは違えど、わざわざ選んできてもらえるのはうれしいこと。二年後の東京オリンピックの際にはまさに注目されるだろう。
ぼくらは何を求められ、与えられるのか。
禅の教え「吾(ワレ)唯(タダ)足ることを知る」
水戸光圀公から頂いたというつくばいには「貧しくても心は豊か」というメッセージが
これも知らなかったが故に、思わず考えさせられる名言というか、表現だなと思った一品。思わずキーホルダーを購入するほど、日々心に止めておきたい格言となる。
本当に大事なこと、必要なものだけあれば、ひとは幸福を感じられるはずなのに、いつの間にかそれ以上を求めてしまうこと。欲が織り成すひとの弱いところであるがゆえ、もっと味わい深くなりたいもんだと気づかされる。
多分そう言った禅の精神も、日本人だから(この言い方すごく嫌い)というわけではなく、よっぽど心得たいと思う昼下がりでしたとさ。
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