すっからかんから聞こえてくるセカイの叫び声

歴史的な南北首脳会談での和解

いいこともあれば悪いこともある。これは世界も自分の人生も同じこと。

アジアでの大きく長い戦いに終止符が打たれようとしている。

昨日まで暴君と恐れられた独裁者が、明日のノーベル平和賞受賞者へ近づく世界があったとしたら、僕らはただ単にねじ曲げ得られた情報に流され、何も見えないまま権力者の都合のいいようにプロパガンダされている能無しも同然。

一方ニュースの陰ではまたしても中東の弱者に銃が向けられている。

人の生きる権利とはいったい何なんだろう。

アメリカ大使館のエルサレム移転反対デモに集まるパレスチナ人

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ただただ生きているだけでは聞こえない叫びに耳を傾ける

イスラエル軍の容赦ない鎮圧により死傷者が増え続けるパレスチナでは大使館移転に反対するイスラエル人犠牲者も

「自分のことで精一杯な日本人は、海外に目を向けるどころではない」。

この現状が未だ取り払えないおかしな文化を持つ国、日本。海外からしてみたらとても恥ずかしいことは今に始まったことではなく、現在も日本政府首脳の「セクハラ罪はない」問題などで世界中に露呈されている。今ではエネルギー、紛争、差別、福祉、NGO、カウンセリング、経済、労働といった大事なことすべてにおいて遅れた常識が邪魔をし、日常を圧迫している。こうした現実により、僕ら一般市民の中でもなかなかワールドワイドでスタンダードな感覚を持つことなんて、とうてい敵わないと失望させられる毎日。

僕自身、そんなやりくりでいっぱいではあるが、それでも間違った常識と戦い伝え続けている人々がいるのを僕は知っているから、それでも止まるわけにはいかないのだ。

何度も言うが知らないことは罪ではない。僕らの国の学校やニュースは教えてくれてないのだから。知識人や意識高い系の人は、それでも他の国の人だって学校に行けずとも学んで平和を願っているというが、そんな高い敷居に気づけたとしたら今苦労はしないし、こんなに問題にはなっていない。これは知らんもんだと半ばこちらも割ら無ければやってらんないのだ。

それを伝えてくれる人がいるのに聞く耳を持たないことが罪なのだ。

南北問題も中東やトランプ政権だってそう。今の日本の政治を見ていればすべて関与している。だってこれらは他人事ではなく、明日は我が身の僕らのことなのだから。

困ったときのバイブル

いくら世界では人々が歓声や悲鳴を上げていても、自分らが困ってばかりいてはそれすら聞こえなくなる。自分が回らないのに他に何が出来ようかと、そんなときに人は縮こまって今までの経験丸ごと飲み込みそうなほどの闇で視野が狭くなっていく。

そんなときは自分のバイブルがいつも助けてくれる。バイブルとはいつなんどきどんな状況であれ、自分をあのときの救われた感情に戻してくれる魔法の書。

僕にとってはワンピースやジェネレーションタイムズもそうなのだが、それはケースバイケースでかたちを変える。

以前から困ったときに開く本がある。人生の師匠、ドリアンさんの「なやむ前のどんぶり君~世界は最初から気味に与えられている」だ。

今までこの本に何度助けられたことか。

そもそもこの本自体、ドリアンさんが一番辛かった時代を超えて書き上げられた、もはや彼自身の失意と挑戦と発見の名著といってもいい。

内容は主人公であるどんぶりが、今まで見てきた人々の苦悩を語り、それぞれにあったテーマで「そんなときはこれを我が輩に盛ってかきこめ」というどんぶりメニューのレシピが記載されている。

一世を風靡した人生相談ロックンローラー(こういう風に言われるのは本当に嫌だとご本人は仰っていたが)の彼が、バンドの解散から多額の負債を負い、ラジオを追えてNYへ飛んで貯金通帳の底がついて多摩川の安アパートに帰ってきた心境がこれでもかと言うほど書かれている。いまでこそ映画のヒットもあり、完全復活したように見える孤高のカリスマに見えるが、ドリアンさんの魅力はなんと言ってもその人間くささと格好つけないところである。これは20年前から変わっていないファンからの率直な視点だ。だからこそ心の奥底までじわりと響く。

僕だって今そんな時期だ。新生活ににっちもさっちもいかない状況→誰にも相談できない状況に追い込まれる→それでは誰の相談も受けられないと心と足を使って動く→人に会う。格好つけずに洗いざらい接する→そこでまた目が覚めて世界が広くなる。悩みとはこの繰り返しの作業。

ドリアンさんはこの本でも言っている。「人生は常に新しくなくてはいけない」。

そう。今までと同じでは通用しない時代も来ている。そして今日という日を選んだのも自分ならば、その経験と感覚を持ってして今日をどんな風に選ぶか判断していく。

そしてこれらはすべて見方次第なのだ。

「人生は金」ならあの国の子たちに顔向けできない。

以前知り合った月収100万以上の人は数千万の借金を返していくのに必死だった。同じく数百万の借金があるのに、今も仲間がその人に集まり、今度こそはと楽しみながらその波を乗り越えて挑戦をやめない人もいる。どちらが豊かな人生かは一目瞭然だ。

「人生、金さえ有れば何でも出来る」と豪語する人が昔から嫌いだった。この人たちは大切なものが全く見えてないと確信したからだ。だがまれに、それすら大切にしている金持ちもいる。

こういう人たちの声にも耳を傾けたいと想ったから会いに行ってみる。すると大概うらやましさよりも自分の小ささに気付かされる。

確かにお金が有れば大抵のことは出来るだろう。逆にないとなかなか出来ないことも増える。けど、やっぱりそれがすべてだとは思えないし、思いたくない。大事なことはわかったから勉強は続ける。

だってここは途上国ではないのだから、食いっぱぐれたらアウトなのだ。見たこともないほどの世界の辺境に行くたびに痛感させられた、人々の生きる強さと逞しさ。それはリスペクトとジェラシー以外のなにものにでもなかった。

だからこそ、こんな国でへこたれるわけにはいかないのだ。この国だからこそのクソみたいな事例だってたくさんある。生きる気力が無くなったとき、大概お金は役に立たない。

いつだって自分を起き上がらせてくれるのは、前述したバイブルや、誇るべき隣人や仲間たちなのだ。彼らがいつでも間違いないものを共有してくれる。

そもそも国境なんてものがあるから文化の違いや偏見が生まれる。

そんなものを取っ払い、この星で共に今を生きる民として、感情をシェアしたいのだ。

同時に見えてくる目の前のやりくり

じゃあどういう筋から情報を得るのか。

もちろん、正解不正解や正義や悪もないこのセカイで、それを問うこと自体がナンセンスだったりする中で、いかに自分の周りに目を向けられているかどうかの視野にかかってくる。

最近知り合った友人が説得力をともなる核心を突いて言っていた。「もう日本は戦争に巻き込まれている。焼け野が原になるのも時間の問題だ」。それでも彼は「戦争を止める」という。

ばかげた話かも知れないが、僕もなんだかそれが可能なんじゃないかと思い始めてきた。

だってこの国は偏見と諦めと決めつけの固まり。それも仕方ない。

僕だけではなく貧すれば鈍す。財布も心も空っぽなのだ。

だったら知ればいい。

今までの常識が間違っていたからうまくいかないのなら、自らの情報を偏見無く掴むためのリテラシーを磨くしかない。いかに偏らない程度に、様々な場所へ自分を連れて行くこと。

「お金と未来の勉強会」で参加した会場前の琵琶湖。

望んだままのセカイに変えられる個々の潜在能力

今週木曜から始まった大阪勉強会。第一回は「海賊漫画から世界を読み解く」

そもそも僕らはいつでも何かしらを諦めてしまっていたのではないだろうか。

自分自身にも当てはまる人には言えそうもないこと。

だからなるべく逃げたくない。努力や根性ではなく、生き方として気付いていること。

ならば「どういう未来(今)が欲しいか思い描くこと」ことが大事と最近学んできた。

人は鏡。目の前で起きていることのほとんどは自分次第で変えられるのなら、変わらない毎日を選んでいるのもまた自分。言い訳や愚痴なんてもう聞き飽きた。

ならばこの間ずっと想い求めてきたものを具現化してしてみる。

意外にすぐぱっと出てこないものだからこそ、紙に書いたっていい。この前淀川橋で会った人が薦めてくれたおまじないがある。手帳でもA3用紙でもいいからそこに自分が求めるものやないたい自分、欲しいものや状況なんかを切り貼りして持ち歩くというのだ。したら大概叶うらしく、その方も最近欲しかったものが手に入ったそうだ。

これはあながち馬鹿に出来ないかも知れない。そもそも普段から漠然と想うだけで、本気で望んで行動してこなかったからこそ今が有るとしたら?

この間、そういった逆境から立ち上がって倍返しにして生きる素敵な人にやけに会うのは、それらの引き寄せの兆候なのかも知れない。そしてその延長線上にはきっと空や風や海で繋がる外海の人々とも様々なことを共有できるはずなのだ。

どうだろう?

まだまだ本気で生きる価値がありそうな世界だと想えないだろうか

東京から遊びに来てくれた仲間と束の間のバタービール

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