やりたいことを決めるとき

「うわーなんなんここ、めちゃ素敵なんだけど」「この景色はマジ癒されるわぁ」「滅茶幸せやな」

最寄り駅から下り方面へたった3駅。電波もとぎれて鹿が横切り琵琶湖の煌めきを横目に、車は山奥へと突き進む。ついこの前知り合った連中と相乗りしてきた車を降りると、そこは夢のエコハウスが建っていた。

5月3日に行った「自由と尊厳の祝祭」の打ち上げ場所として呼ばれたBBQは、まわりに駅もないような山や田んぼのど真ん中。けどここには、今の人の暮らしに欠けたあらゆるものがすべて詰まっていた。

目に入り込んできたのは信楽の山々のど真ん中でにぎわう子どもの声とステージのような縁側と、薪が綺麗に並べられたキャンプ場のような広い庭。太陽光温水パネルが乗っかる味のあるおうちは大工さんと共にみんなで作り上げたという。中に入ると更に各所で声が漏れる。うちのすべてが見渡せる広いキッチンには数十人文の食材が並び、上には寝室らしきロフト、壁に埋め込められた本棚には生きていく上で知っておくべき知恵が詰まった名著が並ぶ。

裏の山には手作りのブランコが有るというので登ってみると、ターザンのようなタイヤが竹のずいぶん上にくくりつけられていた。熊のように優しそうな出で立ちのワイルドなお父さんと、社会のことをしっかり心得ている肝っ玉母ちゃんの間に生まれたしっかり者の17歳参加者の家ということだ。彼女はT−nsSOWL(高校生を中心に安保法制反対)のメンバーだったらしく、学校を辞めてこの夏から言葉もわからずフランスに行くらしい。

10名前後はいるだろう7歳くらいの子どもたちは川で釣ってきた魚をナイフ一本を手の中で生きたまま捌き、ギャーギャー騒ぎながらもしっかりと手を合わせていた。

スポンサーサイト

37.27.17、7歳が共にいる空間。

あっけにとられていたのは僕だけではない。今回の「自由と尊厳の祝祭」を中心に作り上げていったメンバーはちょうど僕から10コ下の27歳の男女が多かった。そしてT-nsのメンバーは17歳が多く参加しており、今回も数人が参加していたが、ほとんどが通信制に通いなぜか海外経験も豊富な子が多かった。

みなが口々に「なんなんだこの会は!」と騒ぐ。けどその騒いでいるメンバーも大概だ。言わばこういうところへ一人で集まってくる人たちはマイノリティでおもしろい人生を背負った人が多い。だから話もどこから突いていこうか迷うほど、仲良くなる文には早いが、入り込もうとすると濃すぎて逆にコミュニケーションに困る。

そう、この環境はまるで文化も常識も違う寄港地さながらだ。

間違いない場所に集まれる「自由と尊厳」メンバーと素敵な家。

まるで寄港地の感覚

世界を回る船旅では訪れる場所を寄る港の地と書いて「寄港地」と呼ぶ。

よく僕らは日本で、海外のどこかで感じた感覚を言うとき「寄港地っぽい!」という言葉を使う。そこには僕らの常識も文化も経験も通用しない。嬉しいくらいのカルチャーショックでしばらく放心状態になる。

「こんなもの(事、人、場所など)が日本にあったのか!!」と驚く。

もともと日本は農耕民族だったが、高度経済成長期から都会に出て欧米化することに意識が行き、土や川や海などの水に触れることすら忘れてしまいがちになった。これからの世代、下手したらこういう遊びすら普通にできなくなるかもしれない。化学物質からくる環境汚染や生態系の変化によって。

だからこそだ。今の時代、当然だったはずのことを当たり前に実践している人は注目される。こういう場所や人も。

ただ知らなかっただけなのに。こういう発見が「日本でもこんな素敵な場所や人らがいるんだ」と、うれしくなるのだ。そう、知らなかっただけで。

こうして場所も人も、つないでくれる人によって広がっていく。

それこそ普通に子どもを育てることが難しくなってきたからこそなのかもしれない。

見習うことが難しい一部のお金持ちの暮らしよりも、大自然に囲まれて楽しくたくましく育つ家族を持っていることは何よりの宝だろう。

屋根の上から集合写真を撮るここんちの17歳。環境は人をここまで育てる。

みんなで決める難しさと意義

お昼の釜焼きピザとBBQの間に数人で、「次回のイベント何するか」について本題に入ったと思ったらしゃべり場の輪ができた。

今回僕が一番はっとした時間だ。僕らの船ではこういうことが自然に起こる。けど日本の人は特に人前で意見を言うとき周りを気にするやさしい種族だ。なかなかなかも慣れていない人間関係の中では難しさも緊張度も増す。ただ芝生に寝そべりながらだったからがっつり話し込んだわけじゃないからまた気づかされたが、もっともまともに意見をいい、話をまわしていたのが17歳グループだったことだった。

「そもそも何かやりたいならまず主旨決めて、具体的にしたいこと出せばえーやん?」「けどそんなかっちり決めへんくて今はよくない?」「けどそれやったらぜんぜん話が進まなへんし、こんだけ人がいたら意見出しづらいやんか」「無駄な時間にするなら決めるとこ決めてはよ遊びたいわ」「あたしはこういう時間は無駄やと思わへんし。むしろ大事なことや」

そもそも誰が代表として仕切るか、そしてテーマを元に何を決めるかが決まってないブレスト(ブレインストーミング・案出し)の段階で、ここまで話すのである。そんなやり取りを見ていて20代の若者からは、関心を通り越して尊敬の念を感じた。海外経験のある型からしてみたら当然のことかもしれないが、僕もまさにそんな感じがした。

その後、意見の割れた子達が同じベンチで仲良く寄り添っていたので一緒に火を囲んだ。

どういう育ち方をしたらそんな風に成長できるのか。

先述もしたが、これらのやり取りをしていたほとんどの子はほぼ学校に行かず通信やフリースクール、海外生活をしてきた生きる力の強い子たちだった。

急遽始まった打ち合わせの延長のしゃべり場は、ダラダラながらいつの間にか白熱していく。

まともに学校にいっていたほうが、こういう場で人間力のレベルの違いに驚かされる。実際この後のBBQを率先的に火を起こしたり、準備を進めていったのもしかりだ。

「日本の学校教育」っていったい・・・

そもそもそういう偏見的な見方も嫌だし、なかなか伝えづらい。全日制も通信も定時制も、フリースクールや引きこもりだって千差万別だ。「こういう子はこう」などという幻想をもっている人はどんどん置いていかれる。

だからこそ、自分んちと学校or職場以外の人のつながりやサードプレイスが必要なんだろう。僕らの職場も然り、これはどんなところにいる人にも共通する課題。じゃあどうやってそこで人とつながり広げていけるのか。

敬愛する処凛姉様が言っていたが、「引きこもりは社会に対する立派な抵抗運動だ」と。強く共感するが、僕自身、なかなかそういう行動には移せなかった。世の流れに迎合せざるを得ないことが大人になることではない。僕らは互いに、広い世界を知ったものがシェアしていかないと、そこまで辿り着けずに世の中を諦めてしまう人々は一向に減らない。

もちろん学校だけではない。メディアも家族も、その人の常識をかたどる大事な栄養素なのだ。そしてこれらも名前の数だけのいろんなかたちがある。

人々にとってよりよい暮らしには何がいらなくて、何が必要なのか。

身の回りに伝えられるようにこれからも学び、実践したいことだらけだ。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする