ルーツが詰まった海の京都で

母方の田舎を訪れたのは1ヶ月休みもらった5年ぶり。両親が営む海の家が開いているシーズンで言えば20年ぶりだろうか。そういえば妙に懐かしかった夏の丹後。冬でも秋でも、あそこに帰れば歩いて海に通っていたが、やはりこの夏独特の感覚は懐かしいわけだ。

浜茶屋の前で兄貴と人生初の語りを続けた苦悩の日々。無数に連なる岩を飛び越えていった山の裏側の釣りポイント。いつ来るかわからない無人の駅、狸が出る岩中の仏様。村で唯一のお店が並ぶ一本道。生活のにおいしか感じられない古き良き家々。潮風に揺れる松の木。海へと続く畑道はバッタの宝庫だった。

自分が大きくなったからか、温暖化なのか、浜は狭くなり、テトラポットも近く見えた。前より半分くらいの大きさになった海の家。寂しかったのは、ガキの頃からいつも追いかけられていたいかついおっちゃんが盛り上げていたギャルやギャル男などがたまっていた隣の浜茶屋が無くなっていたこと。何があったか知らないけど、ほぼ無敵に見えたおっちゃんは自殺していたらしい。

変わりゆく時代の中でも、規模を小さくしても同じ場所で海に来るお客さんを迎える両親の姿を久々に見せつけられた。

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変わりゆく時代の中で変わらないもの

お昼時が落ち着き、とうてい足がつかなくて何度も溺れかけたテトラポットのそばで太陽を受け止めるように一人浮いてみる。

20年。後もう少しで、家を出てからそれくらいの月日がたつと言うことだろう。あの頃夢見ていたこの海の向こうの広い世界は既に見まくってきた。唯一ハマっていたバンドも辞め、夢と魔法の国で働くようになり、打ちのめされた現実社会の裏側、裏切り、絶望を繰り返しながらも必死で生きた自立への道。悪いことならたくさんした。人や夢なんかクソだと思ってた。それでも20代半ばで夢の船に乗り、持病に打ち勝って沢山の仲間と知らなかったことを手に入れた。「世界の縮図」「生き辛さ」「世界の闇と光」「人生の師匠」「兄弟分」「ソウルメイト」。初めての航海で下船してから13年。それでも何度も辞めようとしたが結局やりたいことが詰まる夢の船を懲りずに出している。

海の京都から帰った翌日も、京都市内のBARの小さなフェスで人生相談ラジオ的なトークイベントもさせてもらった。まさに20年前齧り付くように聴いていた「ドリアン助川のジャンベルジャン」もどきのまねごとにもならない企画を、世界中で出会ってきた人を引き合いに語る言い夜だった。

そんな苦悩の10代の舞台になった京都の海。

あの頃海で出会い、心を寄せていた先輩方は今元気にしてんのかな。今まであんまり思ったことはないけど、この年になってみるとまたあいたいなあと想う。

職場の現実

新しく来る人、船に乗る人を囲み職場のみんなと

たっぷりと古巣の海につかりリフレッシュもしたし、いつもの日常。

みんな生きているんだから言えること言えないこと色々ある。

特に僕らのような毎日が新しい出会いの連続な職場じゃそうだろう。楽しくて仕方ないときもあれば、誰とも会いたくない時もあり、誰にも言えない悩みを抱えることだって有る。

こう見えて悩みの渦。だから人は深く関わらないとわからない。

それでも人と深く関わることが出来ないと嘆く若者たち。

もっと生きやすくなるはずなのに、自ら変化を選べない人。理由は明確。そうやって人は負けてしまうが、本当に求めれば変えられるもの。目の前の世界全部、自分というフィルターを通して見るなら、なるべく全部面白い方がいい。

だから今日もおじさんは向き合うよ。貴方が出来ないって言うんならとことん。

20年前からしてみたら今は夢のよう。ようやくここまで来れたんだから。

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コメント

  1. マサキ より:

    けんちゃんが実家出たのと私が生まれたのほとんど同じ時期なのかなあ。20年だね、もうすぐ。