世界で最も選択できる自由があるのに不自由を選択する国日本

哀しい夜に駆けつけてくれた仲間とカラスマ大学へ。京都タワー煌めく放課後食堂後の花火。

教え子が食べ物を創る人らの気持ちを知りたいと単身北海道に向かい、せっせと創っていたトマトを送ってくれた。お礼を言う前にその農園は台風と地震でつぶれていた。それなのに彼は爆笑してみんなに無事連絡をすませた。

この夏は大阪北部地震、西日本豪雨、関西台風、北海道地震と、かなりの災害に見舞われている。そこで全国を駆けめぐる同僚の仲間たち、チャリティ企画を立ち上げようとしている関西の仲間、ようやく家から出られるようになった仲間、未だ苦悩の中にいる仲間。それぞれの想いで、今日もみんな何かを選んでいる。

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不自由を選択する若者は、同じくその上の世代から逃れられない

そしてまた今週も神奈川から教え子が突然京都にやってきた。何のついでか聴くと「けんさんに会うのがメインです」と言うことなので急遽半日空けて東京にいたときからの約束である「幕末京都史跡巡り」という検証・見聞のツアーに連れて行った。

総長と一番隊隊長のお墓がある光縁寺。住職のお話面白かったあ。

いつの時代も若者は悩む。だからこそ必要な今昔。

今しかわからない苦しみも喜びもあるなら、昔もまた同じ。

幕末と呼ばれる140年前の京都で、僕らの先祖である20-30代の若者たちはいろんなものと戦った。異文化、差別、身分階級、脱藩、士道、しきたり、違う思想、新しい価値観への創造、そして常識。

身分問わず集めた新選組、長州の奇兵隊、土佐の海援隊・陸援隊。そして維新志士の豪傑たち。

そんな歴史を紐解くと、今の自分の置かれている立場が見えてくるかも知れない。

昔は「自由を得ること」を目指し、命を賭けて常識や権力と戦った時代があった。国が変われば今だってそうだ。中東も東南アジアも、アフリカや南米だってそんな中で毎日人は戦い続ける。

なのに何で世界で一番自由があるこの国の大半の人間は、自ら不自由を選んでブツクサ文句を言っては我慢できずに死に向かっていくのか。

それは軍国教育が根付く教育と、支配されたメディアからのプロパガンダに他ならない。

13年前、世界を巡って感じたこと

これに気付いた24歳の初めての航海。

世界を見て、日本が見えた。日本の常識は世界の非常識。

ここまで自分の国の歴史も現状や目指していることを知らずに済む国があるのかと怒りがこみ上げてきた。なんつーおかしな国なんだろう。いつもいつも自分のことでいっぱいで、隣の人に心を使うことすらためらっては何も出来ずにいる。中東に難民キャンプもアフリカの黒人居住区も、南米のスラム街にも行ってきたが、もこんなに腐ってる国はない。そのときは心底そう思った。そのとき生きる喜びにようやく気付いた僕は、下船後は世界で一番大変な国で生きたい!と思い、途中までパレスチナにいくつもりだったけど、帰国する頃には日本に変えた。それくらい心も考え方も体制も貧しい国。

けどそうじゃないかっこいい大人だって沢山いることを知った。

全く世界の事なんて知らなかった自分だから、余計知りたくなって左から右、上から下までいろんな人に会いに行った。世界を知れば知るほど、絶望的になる現実だけど、それでもそれと戦う希望的な人々も確実にいる。だから面白いと想った。

「70年周期」という言葉がある。

例えば今から70年前は安保闘争の学生運動時代。そのまた70年前は300年の泰平と鎖国を解いた幕末・明治維新。いつの時代も若者までもが巻き込まれて世の中が動くとき、その価値や身分すら逆転する。

言わば人々の常識を覆す、変革の時代の話。

現在その矛先は我々の豊かさにゆだねられているようだ。

これからの時代

先日面白いイベントに行ってきた。これからの時代を読み解くイベントには京都の若者が数百人お金を払って参加していた。そこで流れていた映像がこれだ。

人工知能やテクノロジーの進化により、世界は人間を置いてどんどん進んでいく。

今まで人間が奴隷のように扱っていたコンピューターとの立場が逆転して、いつかのSF映画みたいに僕らが支配される時代も来るだろう。

かのノーベルだって争いのために発明したものではないその偉業も、他人の使い方によっては沢山のものを奪う惨劇に変わる。生みの親すら潰しかねない暴走した人の進化。

そういう時代が訪れたとき、僕らは一体今より何を選べるんだろう。

日本の歴史から見直すこと

だからこそ、今を自由に選択して生きる今日の大事さを考えさせられる。

人間として当たり前に出来ることが凄いこと。今や当たり前の定義なんてないが、それすらまともに出来なくなってきている時代。

好きな人と、好きな時間に、好きな場所で、好きなことをする。

これがいつでも出来る国というのは実は結構少ない。僕らは出来るのにやらない。もしくは出来なくなってきている。

北の方にある先住民族の教えには、何世代も後のことを考える生き方を実践しているという。

そこまでにはならずとも、昔から憧れてきた大人になることくらいいいじゃないか。

じゃないと生きてる実感も意味も、何も見出せなくて当然だ。

だから今日も先人の想いに胸を馳せる。

これ以上世の中悪くしないよう、これ以上楽しくみんなが生きられますようにと。

「壬生の狼」屯所。時は変われどいろんなかたちで受け継がれる誠の信念

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