恋愛の善シ悪シ

恋愛・・・。それは愛おしくも恐ろしい人生において欠かせないもののひとつ。

いつの時代も人はこれに助けられ、これに苦しめられる。どんなときでもたいていの人は好きになったら、大概コントロールがきかなくなる劇薬、それが恋。

ただ、人を好きになることは恋愛だけではない。僕がこれに気付いたのは20代半ばだったが、これによって世界は大きく広がった。大好きな人なんて恋愛以外でも沢山いるし、恋愛がその頂点に存在するわけではない。これもまた人の作り出す価値観であり、その人が持つ世界の大きさだ。本当に広く深く、人生観が変わって良かった。

だって世の中には、一回一回好きになってたらきりがないほど素敵な人で溢れている。

だからこそ、自分にとってのパートナーと出会うことは難しく見えるのだろう。

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恋愛依存した過去

想えば青すぎたティーンエイジ時代の自分。思い出すだけでそれはそれは幸福に満ちていて、世界が狭く、すぐに絶望に繋がり、憎しみ以外何も残らず、今この命があることに感謝するほど実に危なっかしい歩みだった。

僕がしっかり恋愛し始めたのは19歳の頃。それまで近所の年上の方々としかお付き合いしたことなかった僕にとって、東京の専門学校に出たときの大恋愛は今でも忘れられないトラウマだ。

相手はメイク科の超美人。世の中にはこんな綺麗な人がいるのかと、田舎もんの僕はいつも屋上で見とれていた。するとひょんな事からその子がいるグループと、僕らミュージシャン科の仲間でよく遊ぶようになった。僕らは共通の音楽のおかげですぐにうち解けて葛西臨海公園デートの後付き合うことになった。もうそこからは夢のような日々が始まった。3年くらい付き合っただろうが、その間ずっと彼女に慣れることはなかなか出来なかった。少なくとも僕が生きてきた中で、テレビの世界も含めてあんな綺麗な人(勿論惚れたのは外見だけではない)に出会ったことはなかったし、そんな彼女が自分なんかのことを好きになって付き合ってくれるなんて夢にも思わなかったからだ。そこでどっぷりはまった。それまで人間嫌いだったくせに、その子にだけは何でも開けて全てを捧げた。仲間との時間や、大事なモノの時間までも捨てて、そのまま夢も野望も捨てて結婚しようと想った。けど、いつの間にか善悪の区別さえつかなくなった僕らの前に待っていたのは受け入れがたい現実だった。その頃僕が失ったものは彼女だけでなく、生きる希望そのものだった。全部終わったと想った。それだけどっぷりつかっていたから、なかなか立ち直ることが出来なかった。それから「嫌いだったこと」はとことん経験した。心から否定するために。自暴自棄になっていた。そんなとき、僕の腕を引っ張り上げてくれたのが仲間たちだった。

「バカ野郎、だからいったべよ?女になんぞ宇津々をぬかしやがって」。

それから僕の視野はようやく広がった。今聴いたら笑ってしまうことだが、「人生恋愛が全てではない」。けど、そこまで人を天国にも地獄にも連れて行ってしまうのが恋愛だと。

人を好きになると言うこと

好きな人がやることは全て愛おしい。

そのしぐさや言動、着飾っているものや香り、声や話し方、その人が好きなことも興味を持つものなんかも、とにかくなにもかもに心を奪われる。これは好きなミュージシャンや格闘家も同じ類だったりする。

この世にその人がいて、同じ時代のこんなにも近くにいることだけで幸せを感じられる。

以前お世話になっていた高円寺の人生相談スナックでも、依頼の9割前後が恋愛だということだった。それだけ多くの人々にとって重要にのしかかってくるものらしい。

けど、素敵な人に出会って好きになっていては本当にきりがない。自分との相性もあるだろうが、僕はほとんどの恋愛の場合、自己暗示的なものが働いている気がする。そしてそれはその友人としての距離だからこそ良いものだったりもする。

もちろん、一人の人間と決めない多恋愛主義のポリアモリー(ただし恋人たち全てにシェアする必要有り)という生き方も有りだと想うし、LGBTQのような多様性もあれば、そもそも恋愛しなければいけないわけではない。

ただ、僕のところに死にたいと相談に来る若者の中で多いのが、「今までで一度も人を好きになったことがない」という人たちが怖いほど多いと言うことだ。

彼ら彼女らはもの凄く素敵な人らなのに、自己肯定観の低さか、そもそも選択を求めていないのか、周りがセンスがないのかだろうが、それはそれでもったいないと想うのだ。

誰かを好きになったり、好きになられたり、必要としたり、必要とされたり、傷つけ、守り合う経験こどが存在証明をわかりやすく感じさせてくれるものだったりするからだ。

そしてそれらは意外となかなか見つからない。そらそうだ。自分のことを好きになれないままでは、人からも心底好きになってもらえる感覚など感じ取れないからだ。それでも、疑わずに、諦めんと生きていれば、本間に軌跡の出会いはある。

様々なかたちの中で正解不正解のない世界

これからの未来を楽しみにしている女の子の中では、「背が高くて優しいやりてのビジネスマンと、将来お金に困ることのない子だくさんで素敵な家庭を築くこと」を夢見ている子もいるだろう。大いに素敵な夢だと想うが、こればかりが幸せのかたちではない。

むしろこういったものが、僕らを大きく狂わせる間違った常識のひとつなのかも知れない。

文字通り人やパートナーの数だけの幸せがあるし、中にはそのパートナーすら求めてない人もいる。言わば、人の幸せのかたちに勿論ステータスなんてないと想う。

少なくともこれを考えたときに、こうしなくちゃ幸せになれないという既存の概念が怖いのだ。

それでも人は何かを求めて自分を磨き続けてさえいれば、気付いたときに自分が欲した人が隣にいるものなのかもしれない。

そいつにとって、人生初の朗報

そんなこんなでこれを書こうと想ったきっかけである、妹分から連絡があった。

一度は出られなかったが、まずその第一声を聴いて驚いた。今までに聴いたことの無いような上向きな声だったからだ。

「けんさん!あたし結婚することになったから★」

奴自身も言っていたが、こんな「いい電話」を彼女からしてくるのは初めてのことだった。

いつもは泣きじゃくっては奇声を上げ、何でこいつは電話してきたんだとつっこみたくなるほどこちらの話は全く聴かず、「もう死ぬ!」しか言わなかったわからず屋の自傷小娘が、立派に挨拶が出来る旦那さんと共に電話をしてきてくれた。「LINEじゃなくてちゃんと言いたかったから電話にしたよ」と。こいつは誰か大事な人が出来れば必ず幸せになると想っていたが、いつも「私なんかを好きになってくれる人なんて絶対いない」と、誰の話も聞き入れずに何度も何度も夜の世界に舞い戻っていき、自分も周囲も困らせていた。それでも彼女には決して諦めない仲間がいた。喧嘩しても、裏切っても、何度でも。だからここまで生きて来られた。

彼女の声はその全てを物語るかのように心地よく、ようやく見つけてつかみ取れた悦びに満ち溢れていた。こっちは朝から足にヒビが入って全ての予定がおじゃんになり凹んでいたところに、天使の知らせだ。

それでも人生にはハッピーエンドなんてない。お節介な僕は浮き足だたないように彼女に細心の注意もしたが、「なんかあったらまたすぐ駆け込むから大丈夫ですって!」と、本当に驚くほど初めてと言っていいほどの幸せを満喫する妹分には文字通り余計なお世話になった。

兎に角、心の底の魂から祝福したい。当然のことだけど、改めて本当に人間ってすげー。出会いってすげー!恋愛ってすげぇ。沢山の感動をありがとう!

いやぁ、今から一緒に歩く予定になったバージンロードが楽しみだわぃ。

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