突然の悲報と有る言葉

一世を風靡したと言っても過言ではない「神の子」山本KIDさんが亡くなった。あんなに強い人だったのに、病気によって僕の3つ上という年齢で。しかも闘病宣言してから一ヶ月のことだったという。樹木希林さんも含めて二人の命を奪ったのは日本人の二人に一人が鳴るという癌。この健康問題は人ごとではない。いつ誰に起きても。

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「神の子」

僕が格闘技にはまりだした90年代後半。世間ではバーリトゥードという極めてノールールの格闘技がはやっていた。特に一気に世に出してきたメジャーイベントはPRIDEだろう。立ち技のK1やあらゆるプロレス団体、世界中のからも異種格闘技の旋風が巻き起こった。

そんな中で突如現れた日本の怪物ルーキーがKID氏だった。

真剣勝負のリング内外を舞台に派手なパフォーマンスと相手を挑発するビッグマウス。

そして有言実行の戦いを世間に見せつけた「神の子」KIDは、当時紛れもなくその業界でトップスターとして君臨していた。

自然のままにこだわった大女優

実は昨年末、都内某所の忘年会にて希林さんと一杯飲んだことがある。共通の知り合いも多く噂では聞いていた豪快なお人柄だったが、そのまんまの印象を受けた。アラブ諸国に対する偏見もなく一人でも赴くその行動力と、沖縄基地問題にも足を運ぶ献身さ。そんな希林さんはやはりホンモノとお見受けし、うちの船のゲストにと誘ってみた。希林さんはすかさず「どこかの団体でどうとかって言うのはあたしはやらないのよ。自分の行きたいときに行きたいところに行くし、そんなのこんなお婆ちゃんじゃなくて他の若い子にやってもらいなさいよー」と。

後から近くの人に訊いてみてもなるほどさすが大物である。すんなり僕は引き下がったが、これがこの人が国民的スターと言われる所以だと感じさせられた。僕の尊敬する作家さんとも親交があったようで、そんな夢のような時間をのんびりとさせていただいた。

想えば希林さんは僕が楽しみにしていた映画「あん」の予告で、「これが最後に映画になるかもしれません」と呟いてらっしゃったが、その後も3.4本も出てらっしゃった。

一切の抗癌治療もせず、ありのままで最後まで生きた希林さんがたたえられるのは当然のことだろう。

早すぎる死

希林さんもそうだが、いくら人生100年時代に突入したといえ、あんなに強く、成功を収めたトップファイターも含めてびっくりである。

病気とはあらゆるモノの積み重ね。病気でなくても、ゲバラをはじめ幕末の志士、カート・コバーンやシド・ヴィシャス、hideも尾崎も、伝説の革命家は大概30代前後で命を落としている。

おそらくもしかしたら「早すぎる死」というのはないのかも知れない。

事故だろうが病気だろうが、全ては巡り合わせで、滅茶苦茶健康思考だった人が急に車につっこまれて死ぬこともある。それでも僕らは友人にしろ知り合いにしろ有名人だって、元気でいて欲しいとどこかで当たり前のように願う。それが外れたときにショックを受ける。

今この瞬間だって、もしかしたら自分の大事な人がどこかに行ってしまっているかも知れないことも、知らないだけなのかも知れない。どれくらい昔かわからなくなるくらい以前心を共にした人が、今どうしているかなんて、思い出すことすら困難なのと同じく、人はいつかはみんな朽ち果てる。いつの時代も、命あるもの皆平等に持っている宿命なのだ。

大和魂という言葉の意味を考えた日

KID氏の話を出すとなると外せないのが、僕が当時最も注目していた格闘家がKIDの兄貴的存在のエンセン井上だ。

当時夢中になって見ていたエンセン井上の試合

ハワイイ生まれの日系人である彼の信念は体中にも刻まれている「大和魂」。さらには「男で行きたい男で死にたい男になりたい」というタトゥーも入っているとんでもなくわかりやすい。ファイトスタイルはまさに狂犬。ギブアップしても離さないわ、失神している相手も殴り続けるわ、完璧に極められてるのにタップしないわで、試合前にはいつも遺書を書いて出向くというエンセン。そんな彼の漫画みたいな生き方に魅了され、彼が来ている大和魂Tシャツを着ていた。

そんなある日、大和魂Tシャツをきて当時ボランティアスタッフとして出入りしていた東京の職場で、ある女性から話しかけられた。「ねえ、君それどういう意味か知ってるるの?」。一瞬何を言ってるんだこの人はと想ったが、彼女は在日コリアン三世。その存在自体も知らなかった僕は根掘り葉掘り聞かせていただき、それ以来そのTシャツは着なくなった。うる覚えだが、第二次世界大戦の時の日本軍の洗脳政策で、この言葉をもって全て合法化されていた時代があったらしい。確かに、その後も様々な差別で虐げられてきた在日の人からしてみたら悪魔のような言葉で、そのナショナリズムの元、アイデンテティが民族の壁をつくり暴走したのだろう。

無意識だったとしても誰かが嫌な想いをするモノが世の中には有ることを知った。

全盛期のエンセン。タトゥーは初期使用。こっから止めどなく増えていった。

以来、それぶりにそのシャツに袖を通した。エンセンと袂を分かってからその右腕の言葉は更に大きな墨によってかき消されてしまったが、その想いは共に空に舞い上がっただろう。

大好きだった「神の子」KIDと、沢山の生き様を見せてくれた希林さんに、R.I.P。

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