あのテガミの磁力は、今でもあのままここに

職場のバルコニーを出ると、正面の建物越し右側には高架線が見える。そこに時折ホグワーツ生のデコレーションが施された電車が通る。その真上には関空から飛び立つ飛行機がゆっくりと進んでいく。誰が何処に誰と何をしに行くか知るよしもないけれど、今日もどこかで誰かが楽しみにしていた一日をあっという間に過ごすんだろう。

それでも人生。何があってもおかしくはない。もしかしたら同じく何かを楽しみにしていた人が不慮の事故でなんにもなくなってしまう人もいただろうし、そもそもそんなにワクワク出来ることがもうなくなってしまった人もいるかも知れない。

中でも外でも今日もこの国では未だ死んだツラして泳いでいる魚みたいな人を見かけるが、奥底から胸が痛い。そんな目してるからずっと抜け出せないことをどうにか伝えたいけど届ける術がない。。。

何かがうまくいかなくなるとき、明日からどうやって生きていけばいいかわからない夜もあるだろう。周りには沢山人がいるのに、誰に電話を掛けていいかも分からない。そんな心細い夜。

そんなとき、僕はいつも宝箱を開けてみる。大事な人からもらったものの中で一番嬉しいのが、そのときの気持ちを閉じこめておけるテガミだ。僕にとってはそれはまさに生きた証の宝物。

昨年のカウントダウン。京都に来てから出会い、よく学び合う仲間らと

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今でも残る時間と忘れがちになる核心

5年ほど前に師匠から南太平洋上に届いた一通の手紙を、今でも手帳に挟んである。忙しさにかまけて帆走しているとき、ふと立ち止まりたくなったとき、戸惑いの中でこれから何を目指して生きていけばいいのか分からなくなったとき、僕はそのテガミの封を空ける。そのたびに何度も気付かされることがあるのは、未だになんとか自分が変わらず成長し続けられている証拠かもしれない。

それだけじゃない。宝物と想わせてくれたテガミは重ねて持ち歩くようにもしているし、その他ももれなくタンスにしまっている。なかなか掃除の神様にはいい目で見られないようだが、テガミはいつでもそのときの時間に戻してくれる最も想いが籠もった存在ではないだろうか。

だから捨てられない。コレクターのTシャツは捨てたけど、テガミは捨てられない。いくら断捨離が大事とはいえ。かといって過去にすがっているのではない。そこには忘れてしまった大事なモノばかりが散りばめられているのだから。

けど勿論これらも、動いて開いた分だけ手にすることが出来るモノだから故に、これに値する代用品がない人もいるのもまた事実だ。

愛が足りてない世間の中で

勿論この国には沢山の愛を持った人たちが生きているのも知っている。ただ、あたりを見渡せば他者への冷たい対応、吾関せずのこの文化が嫌でも目についてしまう。

困らなかったら出会うはずのないご縁も、何も気付かずわざわざゴミ箱へ捨てていく人たち。

何処まで行ってもこの国の考え方は遅れていて、普通(こんなモノはそもそも無いはずだが)に生きている限り所有の支配からは逃れられない。

世界を学べば学ぶほどそう思う。教育、労働、メディア、福祉、医療、貧富の格差、そして差別。勿論これらは世界でも未解決な問題は山積みだ。

だけどこの国も他所でも日々そんな問題に諦めずに立ち向かう人がいる。

理想論と罵られても、やってきた人たちが実際時代を変えてきた。名だたる英雄も、「生前は変人扱い」なのことは上げればきりがないほど存在している。まさに時代が着いて来られずそういう現実になる。常識に逆らうことには勇気がいるが、人を差別視して、それのどこに愛があるんだろう。

人生悪くないと想える空

それでも人と出会い、同じ時をただ過ごすだけではなく、知ってみれば「人生言うほど悪くない」と想える空にも出会うことが出来る。

そこはほんのちょっとの差で人生が劇的に変わる方法がある。それはそのとき想ったことをまずやってみるかどうかだ。

さっきも初めて膝をつき合わすボランティアの子とランチに行って、こんなことを言われた。

「人間みんなすぐ開ける訳じゃないですから」。。。

もっともである。けど、だからこそ選んでいないはずの選択を選んでしまうことになる。

じゃなければそんな顔はしない。何があったか知らないけど、もし自分を変えたいと想うのであれば早かれ遅かれ勇気を使うことは必要。疑った分だけ自分に跳ね返り、当たり障りのない毎日を繰り返す。これを選ぶ人が実に多い。選んでもいいと想う。文句を言わなければ。

うちの同僚でもそうだ。何度言ってもやらない人に限って大きな目標を口にするだけする。するとそれをいざ任されると日頃逃げてきた分のツケが回ってきて耐えきれずに勝手にふて腐れ、翌年にはもういない。周りの話も聴かず自分がそのままじゃ変わるはずがない。そして何も言われなくなる。

ただ、自分と周りと世界と向き合うことの大事さ。これさえ分かって行動を改めたら、いつのまにか誰の頭上にも等しく、タイヨウやツキは自分を照らしてくれるというのに。

そんな人らにこそ逆に、これから先」心を込めたテガミ」を送りたいと想うのだ。いつかその意味に気付いてくれることを信じて。

2019年元旦の初日の出@京都郊外

相手を「知らないことの怖さ」は誤解であると言うこと

もしいつも顔を合わせる人の知らないところでやっていることが、今自分が凄く興味があることだったとしたら。あなたはそれを知るよしもなく、本来だったら親友になれるかも知れない相手を課を見知りで終わらせていたとしたら。なんて滑稽な話なんだろう。

けど意外にこれをしている人は多いと想う。

だってそこまで人と絡む気がないから。

ある人は足りている。まだ手に出来ていない人は、足り無いどころか優先順位すら間違えてしまっているのだ。先ほど目にしたニュースで「世界の大富豪上位26人が全人口の半分の富を独占している」には強い違和感しかないが・・・。

平安神宮の初詣。紺だけ人がいるのに誰も知り合いに会わなかった。まだまだそれだけの世界。

今年は投げ銭カウンセラーやろうか考え中

そんなこんなで今日も瞑想中。今年は時代のうねりが一気に押し寄せる年だから、新しいことも色々整理してやりたい。京都、大阪でのトークライブはちょいちょい入れているが、それとは別に以前仲間が始めた「投げ銭カウンセラー」も自分でやってみようかなと想う。

心理カウンセラーの資格は持っているが、基本今までカウンセリングをしっかりした人はいない。悩む仲間の相談を聴くときはいつもの自分だ。

けどそれだけではなかなか言えない話や出会えない人もいるだろう。仲間の中にも毎回数万円払ってカウンセリングに通う人らもいる。近すぎるとあれだが自分ならもっと全然安くやるのにとジレンマを感じていた。

そんなこんなで今年もよろしくお願いします。

今週末仲間が行うビッグイベント。関西ホルモンカラオケ0126

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