クソみたいなこと知っても絶望せずに

生きてんねんから人生はほんまに色んな事があるわぃ。

知りたくなかった出来事、信頼していた人の裏切り、墜ちていくばかりの仲間に対して何も出来ないこと。日々様々な人からの相談を受け、人生の厳しさを改めて学ぶ繰り返し。

身の回りのトラブル、巡りあわせた本、心躍る瞬間、ぞっとするニュース。

だからこそ大事なことを思い出したり再認識できるこのタイミングは、今の自分に気付かせるために全て必然的に形成されていく。

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キョウダイの旅立ち

雨の世界遺産神社は一層静寂に包まれた神秘を感じさせる。

この春、二人の生徒というか妹的な子らがそれぞれの卒業をした。

一人は仕事の卒業。ずっと悩んできたが、自分をもう一度自由に整理するためらしい。いつの紐考え込んでしまう性分というものはあって、自分が自分を押さえつけてしまって本来の自分が出せなくなることは人生の中でいくつもある。無駄なことなんて一つもないけど、タイミングはいつも思い通りにはいってくれない。それは気付くために必要なことだから。皮肉なことにそこまでしんどくならなくてもいい人はいるが、大概後でより大きなひっぺ返しを食らう。勿論、その他の生きるための法則なんかを理解してこれを回避できる人もいるが。。。どのみち彼女もまた戸惑いの中で険しい道を選ぶ挑戦を始めたと言うことで、心から応援したい。

もうひとりはあれだけ学校嫌いで不登校だった子が、「学校楽しかったから卒業するの寂しい」と言って憧れの仕事に就くべく見知らぬ土地に彼氏も置いて一人で乗り込むらしい。全く頼もしい限りだ。突然の連絡は「月末で遠くに行くからカラオケでも行こう」という嬉しい誘いだった。それでもこの間近くにいたはずなのに連絡が取れなかったのは、親しい人の裏切りよってこもっていたからだという。本当に若いうちの悩みとは残酷なものだ。僕自身、いい思い出なんてほとんど残ってないかも知れない。どれも蒼く切なくもどかしいものばかりだったが、こんなんを乗り越えて素敵な人の本質をすぐ感じられるマインドになれるのなら悪くない修行だ。

雪解けした人もそうでない人も、ようやく分厚い格好からオサラバな季節になってきた。

梅が咲き始めた下鴨神社

足を引っ張る悪友の斬り方

先日6年ぶりに夜回りをしていたときに知り合った子から連絡があった。その子は20歳までには死ぬと言っていて、「結局まだ生きてるけどね」と連絡をくれた。けど俺みたいな奴に連絡すると言うことはまたそれはそれで日々に嫌気がさしているのは容易に察することが出来る。

夜回り時代に出逢った相談は時々今でも来る。今どんな状況であれ連絡してくれるだけ心底嬉しい。少なくともどう見られたって今の状況を抜け出したいからSOSをくれる。また泣く泣く風の仕事に舞い戻った人もいれば、友達がいなくなるからと○○○から抜け出せない奴、少年院での出会いで人生を考え直せたはずなのに相変わらずな自分に嫌気を指す人などなど。

毎回想うが、「周りにいる大人は何やってんだ?」という疑問と憤り。

そんな周りに振り回されて一人になることが怖いという人がいる。一人になることなんてそうそうないが、例えばそうなってしまった方が楽なときだってあるほど「その周り自体が負の元凶」なことが覆おうにある。じゃあ今の現状を見てご覧なさいよ。そんな大事な人らといるのになんでこうなった?いつだって視野が狭くなる人はいつのまにか迷子に追い詰められる。

そもそも家も離れた海賊にでなければ打ち明けられない本音ってなんなんだろう。話せる相手なんて他にも必ずいるのに。仮にそうでなければそこにはいなかっただけで他所を探せばいい。人生はそこだけで起こっているわけではないのだから。そこにもホントちょっとの勇気が必要なだけで、あとは自然と求めていた毎日が現れる。

一貫して愛が足りない状況

僕自身だってそう。まだまだ修行が足りない故に出てくる現状に満足できない状況。満たされているはずなのに、どこか求めてしまうこの欲求だけはどうも解消できないと想ってしまうことの愚かさ。そんなことを感じているとまたどこからか大事なことを伝えに来てくれる引き寄せの出会いがある。

先日京都のbarで行った僕のトークライブに来てくれた子がまたその人だった。金髪革ジャンの装いのその子は、しっかりとしたやり手の仕事をこなしつつ、自由に生きていける方法を探している。だからQ&Aのコーナーでも「パレスチナの人たちにとっての日常の幸せって何なんですか?」という実に面白い質問をしてきてイベント後には即仲良くなれた。

それからというもの何度か語り仲間になり、話題の中心は「これからの生き方」「自殺を少なくするには」「人類が最も高めなければ行けないものは愛」「やりたいことを続けるために個人に光を当てる方法」。最近はこういうものが僕の周りではテーマになる。

そんな話とは別次元のところに日々周りで起きる聴きたくなかった話。これも全て愛が足りないが故に起こるクソみたいな出来事。だからこそそれがきっかけとなってその人に気付かせるために起きるべき起こったことでしかない。僕自身しょっちゅう気付かされているから毎度痛感して少しづつでも変えてみる事にしているが、普段気付けない人はこれくらいのことがないとなかなか改められない。だから反省に半生を重ねて、リスペクトすべき人から得た価値観をようやくそこで入れ替える。そうやって皆経験していくものだが、本当にそういう出来事は何度様々な事例を聞いても胸が痛い。消える傷ならいいが一生残るものもある。だからこそこれまでの固定概念やクソみたいな生き方をしていては必ず痛い目を見てしまう。過保護な自分の性格でも、そうしなければわからない奴もいる。だからいいの。愛と自由の赴くまま人に接していかないと、求めた人間関係なんて構築できない。

なにもこれから、時代の動く方向に先取りや迎合をしたい訳じゃない。数字や結果だけが優先され、一部の実力者のみが笑える資本主義から、ダレデモ個の多様性が求められる時代。自分自身が求めていた環境がようやく追いついてきた感覚。そのためにはモット自分や周りに対する愛を高めなければこれまでとさほどかわらない。最近身の回りでは僕の地元のド田舎にある瞑想合宿に参加する人が多いが、彼女もその一人だった。そこで得られる感覚は確かに今の時代に迷走した若者に必要な瞑想なのかも知れない。だから愛の度数を測られる。そんな数値は存在しないけど。昨年訪れた龍安寺のつくばいではないが「吾、唯、足ることを知る」に対する感謝が問われる頃合いだ。

足りないものを補う方法

西成の猫。

じゃあどうやって愛や時代の流れを読み解くリテラシーを高めるのか。これまた僕のトークライブでお会いした共通の友人も多い強者、西成シェアハウスのタビガラス代表の所に遊びに行ってきた。「なんか面白いことできそうっすね」という言葉につられて終電間際の時間にお邪魔させてもらったが、最初は二人だけしかいなかった居間に次から次へと現れた個性豊かな同居人の方々や滞在者たち。おかげで朝一で帰ることになったが、ここでの出会いもまた必然だった。自分の生まれた街と国をはっきり分けたアイデンテティを持つ忍者ヒッチハイカー、洞察力と雑学が半端ない心理帝王学をこなす同居人、健康美意識の高いキャバ嬢といった感じでもう話は止まらない。数々のシェアハウスを訪れてきたが、こんな濃いメンバーが住むところは久しぶりだった。そりゃここなら専門性のある人間が入ってきたら面白い企画はいくらでも出来る。話を聴いても面白そうな人らばかり出入りしているらしく、何人も会ってみたくなる人がいた。

普段はなかなか人には言えない自分のトラウマも、こういう場所では自分を生かす武器にしかならない。そんな経験を積んできた仲間がいるから、このどうしようもなくクソッタレな社会に対して喧嘩が売れるんだろう。このタイミングと巡り合わせはまさに必然でしかない。

おそらく、今自分に足りないものを補う方法があるとしたら、身の回りのあらゆる人(勿論苦手な人も含めて)からのメッセージを素直に聴くこと。バリアを張ってちゃせっかくのチャンスも棒に振ってお仕舞いどころか、それが「自分のこと」と気付くことも出来ないだろう。

だからこそ、新しい人も前からの人も、目の前の人を見れば自分が見えてくる。普段無意識に自分が漏らしてる感情や態度、使っている言葉、全てに通う波動を伝ってこの身で見つけられたら、「今」からがまた楽しみになる。

過去がどれだけだったとしても興味ない。「今」をしっかり生きれなかったら未来もクソもねーんだから。人のこととやかく言う人がいるけど結局は何処までいっても自分次第なのだ。わかってくれる愛有る周りと付き合えているなら、必ず貴方を置いては行かない。

これを見る全ての人の今が、また一段と輝きますように。

世界の闇を学んでいる濃い人ばかりだったシェアハウス訪問は気付けばキラッキラの朝に。

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