再会と暫し別れの合間にココロ洗い

家から30分走った所にある世界遺産「醍醐寺」の庭園にて坐禅。

新たな出会い、暫しの別れ、久々の再会。

空の高さ、緑のざわめき、風の変化、時代のうねり。どんなに人とあうときもあわないときも、古から続くこの土地と命だけは繋がりを忘れずにいたい。

人生交差点の中では今日もそれぞれの成長のみせあいっこが続いている。これを圧力と感じるか、安心と感じるかは、僕らの今との向き合い方が問われる難題であり、ある種の存在証明でもある。

そう。僕らにとって港に足を運ぶことが増える、そんな時期がやってきた。

今日も目を閉じて、これまで出逢ってきた大事な人たちの顔を思い浮かべ、フォースを馳せる。

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それぞれの選んだ今

何かを選んでその報告が出来る人、そこで選ばなかった人、選ばなかった人。それでも僕らは毎日なんかしかの洗濯をして今を迎えている。

以前から興味深くここでも伝えている「全ては自分が望むべくして今を思い通りにつくっている」という現実。良いことも悪いことも、好きな人も嫌いな人も、どうでもいいことや人だって、全部自分で選んで今がある。

そこには仕方がないやそんなこといったってなんてなくて、全部自分で引き寄せてる現実。

だから本当はみんな後悔はない。はず。僕もそう。全ての忘れ去りたい記憶や、覚えておきたかったけどいつの間にか失ったモノなど含めてほんとに全部。これが良くて、欲しくて今がある。

その自覚をどれだけ持てるか。言い訳ばかりで結果いやな選択を選んでいる人も、本当はそんな自分を味わいたくて選んでいる。僕が学んだことによると親や生まれ持った障害、不運までも全て自分が選んできたのだと言うからスピ系という言葉だけではすまされない現象の中にいる。

毎月恒例のディスカッション企画にて同士が久々に発言してくれる。

帰航と出航のいつもの時間

神戸港に帰ってきた我らが母船の船首からの眺め。

そんな中でまた船が帰ってきた。おかえりといってらっしゃいの大事な繰り返し。嬉しいことや悲しいこと、色んな話を聴いた。

それでもやっぱり口元がゆるむことと眉間に皺が寄る違いはその人の在り方だ。例えどんなことがあったとしても、その人はどうあれたのか。言い訳や愚痴なんて聞きたくない。ありのままの自分でいることが出来た人の話はココロから面白いし、気持ちがいい。

泣きそうなくらい嬉しいことも、拳を握りしめるほどむかつくこともある。それでも僕は目の前の相手と今を受け止める。それが僕らが関わってきたなれの果てならドンと構える。それが俺らの取るべき姿勢だと想うから。

占い好きで、わーっ!と騒いではいつもと同じ不満や文句だらけの毎日を選ぶ人は、何かをかけて挑戦した人には顔向けできない。何処に行っても誰と行っても、自分を変え始めなければそのまま変わらないだろう。

そうやって現実は出来ている。

出来る出来ないではない。やろうとしているかどうかなのだ。

三宮のBARにて。これまた凄い大人にあったときの様子。

想いがある人ない人

西成で行われた成宮アイコちゃんの投げ銭ライブには色んな想いが込められていた

人間力の大きさは愛のでかさで決まる。

そしてこれまでの壁を越えてきた分、それらは確実に濃く深く貯まっていく。

思いがけないことの連続の中で、やはり胸を打たれるのはそういう人の言葉や暖かさだったりする。本来それらは最も不透明であやふやなもの。それでもしっかり今を生きている人のそれらに触れると胸が高鳴るのだ。セカイは波動で出来ているから、そういう人の近くにいるだけで元気になれる。自分もそうでありたいと思いながら、今日もコツコツ目の前のことを見つめては自分磨きをする。

最近、「自分、やりたいことがないんです。。。」と涙を流していた仲間を見かけた。それは決していけないことではなくて、そこまで見つけられなかったり、追い込まれたりする社会や周りに問題があるんだと思う。

そして目の前のことに対して愛情を注ぐことが出来てない人。変な割り切りが大人だってならそんなステータスなんて全然いらねー。今やりたいことができん人が、後でどうやってやるというのだろう。そういう人に限って言い訳しかみつけようとせず、そもそも自分がどうありたいかを全くイメージできてない。そら何となくで離れなくて当然で、この現状に納得できないわけだろう。

人の振り見て我が振り直すほどの距離に踏み込んでいたいものだ。周りのせいや、その状況に文句ばかり言うのであれば、そこにすら行こうとしているか。どうなのか。

わかってるやつはまわりなど気にしたりはしない。だからおいしくご飯が食べられる。

生徒たちが意外な報告をしに京都まで@拉麺小路

選べなかったことも含めての今

暫しの別れを惜しむ船との連結部分の窓に手垢がつきまくっていた。

そんなこんなで向き合えた人、それが出来なかった人も全部乗せ込んだ船が出た。

またもや忘れた祝福の海賊旗の変わりに高々と掲げたメタルポーズに反応してくれた多忙中の妹がちらりと魅せてくれたキツネポーズ。俺らはこのタイヨウと海でいつも繋がっている。日頃の行いが直に香えっくる船はよもや精神と時の部屋。またレベルアップして帰って来るであろう妹たちと語り合った出航前の夜が無駄にならないように、今日もゆらめく火を灯す。

これまでの選べなかったことも含めて、今を選んできて後悔はない。全てが意味のあることだから、よっぽどそれに気付かなくては失礼に値するような気がする。僕らは日々、それだけの様々な想いとすれ違ってきた。

先日もお会いした月一の大阪教育者飲み会で東海から来ている方(自分のことを元人を殺す職業の自衛隊員から、人を守る職業の消防隊員になりましたといっていたイカす人)がこんなことを言っていた。「自分はどんな繋がりを創るかなんてどうでも良くて、いつも楽しいから来てます!」。素敵すぎる人は一瞬ではじめましての関係を通り越える。そして自分はこれをやっているというアピールが凄い人は逆に次はいなくなっているから笑える。そしてそんなこともいつの間にか忘れている僕らのまわりは本当に面白く出来ている。

今回もいい顔して生徒たちが神戸港を出航していった。

僕が誰かに再会するたびに言っている「どんな生き方をしても大事なのは今のそいつのツラ次第」は、こんな時、その大事さを痛感する。生きてんだから色々あって当然。それでも僕らは今を選びながら確かに生きている。誰にも人を傷つける権利はないのに、いつもだれかが誰かの事で悩んでいる。「戸惑いこそ人生」。いつだって人は勝手だから、話題のスイーツや煌びやかなイベントには群がる割に、近くの大切な人の勝負の日のことを忘れたりもする。

それでもそんなことに気付きながら僕らは少しずつ大きくなっていく。大切だったモノを忘れながら、今大事だと想えるものを新たに抱きかかえて。それでもまた、歩き続ける。

糺すの森のチームラボに群がる人間たち

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