反応しない練習

青蓮院入り口。不動明王の掛け軸。

先日は仕事で理不尽な瞬間があり珍しくブチ切れそうなことがあった。大事な場所が修羅場と化しそうになるほど頭に来て、心の中に荒波が立った。それでも抑えられたのは「反応しない練習」をしていたおかげかも知れない。もしあのとき表に連れ出していても、僕が伝えたかったことは伝わらなかったかも知れない。一息ついた今ではあんとき怒鳴らなくて良かったと想うのは、ムカついた相手に対して自分自身も日常の対話として出来てないことがあったから反応しそうになったのだろう。と言うか充分反応してるけど・・・

日々の謙遜から禅の心に触れてみる。人は生きていれば大概悩みや嫌なことにぶつかるものだが、それらのこことを生み出すのも自分自身。ならばその自分の反応や人への受け止め方を変えれば目の前は劇的に変化していく。

ならばそんな方法をと、坐禅仲間が「反応しない練習」という本を貸してくれた。

これがまた仏陀から学べる行きやすい生き方をお坊さんが書いているというのもあり、かなり心理の核心を突くもので、深ーく時間をかけて読ませてもらった。

青蓮院のふすま絵。とにかく庭もめちゃよかった記念日。

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「反応する」心たち

倉田会でのアイデア満載な倉田先生の授業

人と関わることが恐いという人がいる。それは仕方ないことで、うまくコミュニケーションがとれない人がいれば誰だって嫌になる。僕にもそういう苦手な人が近くにいる。

それでもお構いなしに毎日が進んでいくなら、なるべく害がないようにと言うよりかは、いちいち反応したくない。かといってそれが難しいから関わりたくないとさえ想ってしまう。

一生懸命生きる人に対してそれらを受け止めようともしない人、世界がこんなにも大変なのに我関せずの姿勢を崩さない人、覇気が無く毎日を流している人、主義主張が合わない人、公私混同している人、自分のことを棚に上げて周りに厳しい人、空気を読む人、そもそも生理的に受け付けない人。関わる分だけ自分のライフゲージも減るんじゃないかと想うほど波動の悪い人たちは確かにいる。

だがしかし当然誰しも一生懸命に生きているのは変わらない。僕らが知らない何かしらの理由があり、そう魅せることが防衛本能なのか、そうなりたくないけど過去のトラウマや育ちがそうさせるのか、そもそも人に構ってられないほどの事情があるのか、とことん時間を掛けて話してみないとわからないことばかりだ。そしてそこまでやっている暇もなく、可哀相な人は誰にも気付いてもらえないほどのチャンスを自ら捨ててしまうから分かり合えないというバッドスパイラル。

それでもそこを諦めない大人たちが確実にいるから、現実は面白いのだ。そこまで心と足を向けられたらの話しだけど、平等にその可能性を皆秘めているから、結局動いた人の所にだけ愛が確実に行くように出来ている。

激アツ破天荒教師の鏡、倉田先生による大人への授業。

「反応しない練習」

what you createツアー環境活動家Linaちゃんの会。滅茶盛り上がったその後のトークまで

というよりも、愛も豊かさもハッピーも、実は見つけるものではなく、そこにあることを気付くものなのかも知れない。決して見たくも聞きたくもないほど嫌なことでも潜んでいるものにも。

わかるだけじゃなく、それを実践している人は知っている。むしろその人からはそんな愛が滲み出ている。逆にそれらに気付くことができない人を「愛がない」と責めるのはナンセンスなのかも知れないと想うほどに、見つけられている人たちは暖かく見守ってくれている。

「反応しない練習」によれば、仏陀は全ての感情から来る反応は妄想だという。自分の妄想によって起きてもないことや、そこまでされたわけでもないのに課題解釈するのはとっても無意味なこととしてとらえられている。たしかにそうだ。そして先述したソウルメイドの話もそうだが、自分にとって都合の悪い人の中には、どこかしら自分の悪い癖と似ているものをもっている人も少なくないので、無意識なまでに過剰に反応してしまう傾向もある。よくいう、もの凄く仲良くなるか仲悪くなるかという人はまさにそれだろう。どうせだったらそこを自覚して仲良くなりたいもの。自分のことを知るとはそういうことだと想う。

だからこそまだまだ、「わかるけど出来ない」では足りない自覚。これをもっと日常に使いまくって自分のモノにしたいとこだ。

幸運にも僕らにはそれを実践する世界も環境もある。

新しい出会いの中でインプットすることもアウトプットすることも多くなってるけど、基本人は仲良くなれる。それがどういうタイミングであれ、日常のものにするかそのときだけのものにするかはその人次第。動いている人は敏感に反応するからまた繋がることができる。

執着を捨てれば新たな関係が築けるなら、僕は喜んで自らを縛り付けている大事なモノを捨てよう。アウトプットするたびにものになっていく感覚は誰だって気持ちがいい。近くにも実はそれを生み出せる場所が結構あることも、色んな仲間と街を歩くことで続々と新たな好奇心のページが開かれていく。

カラスマ大学×京都大学コラボ企画

今日も自分らしい「今」を生きることから

結局大事なのは今、目の前のことをどうとらえて生きている自分がいると言うこと。

ならば反省すべき点はたくさんあるだろうけど、これもまた積み重ねで身についていく自分の魅力。言い訳せずに自分はどうあることが出来るのか。

別に何かの法則があるわけでも無ければ、マニュアルなんて無い人生の中で、言い訳をせず今の行動を選んでいく。人の陰口言ってるうちは全て自分に返ってくるから、周りがどうこうよりもまずは今の自分は何を選んでいるのかという自覚と感謝は忘れたくない。

周りに見えてしまう嫌なモノがあるとしたら、自分自身がまだまだ足りてないという写しかが身になっているのだ。起きてもない妄想ではなく、今日も目の前のものをありのまま受け止められる心持ちで。

伝説の第一回BiSHナイト@西院BASE

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