メディアリテラシー低い国~情報を読み解く力~

引っ越してきてからであった親友であり兄弟分の琉ちゃんと。

ホンマに最近、新型ウィルスの影響で大事なイベントが中止や延期されて困っている。

どこの国や職場でもそうだろうが、特にうちは船の仕事だから二つの船が一つにまとめられたりかなりの影響が出ていたが、ついにはその船すら欠航してしまった。これは切に、ココロから悲しい出来事となった。これまで船に乗るためにボランティアで割引をためてきた人、ここに合わせて人生を組み立ててきた人、そんな方々を受け入れるために様々な準備を積み重ねてきた仲間たちの、その無念さは計り知れない。けど現実はクレームどころか「こんな時だから仕方ないね」「楽しみにしてるから頑張って船出してね」と、応援してくれる方々が多いというのにもまた驚く。今まで15年勤めてきたがこんなことは初めてで、正直どこの職場も火の車になっていることだろう。一部の階層を除いては。

確かに、ニュースの力はでかい。実際普段の生活でそれしか情報がないのであれば真に受けとめるしかない。俺の仲間ですら「今のテレビ見たらみんな怖がるよ」と言ってたからそうなんだろう。

けど本当にその情報は確かなのだろうか?テレビで言っているから疑いようも無いことなのか。そもそも僕らは何に怯えてるんだろう?

僕らはどこからの情報を得るのかによって、その価値観がまるごと変わってしまう。

だったらあなたは誰から出たどこの情報を信じてますか?

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メディアリテラシー

この言葉を知ったのはどこの海だったか。おそらくあれは15年前のカリブ海。同時に情報は権力者によって操作されて人々を動かす「プロパガンダ」というものが有ることも知った。

これを知ったときに「だから日本はこうなのか!」と、その実態や仕組みに驚愕したことを覚えている。周りの人を伺い空気を読む文化、流行が簡単にできて何かを思いこむ先入観、これらは全体主義から来る思考停止にも近い状態。個性やマイノリティを怖がり、多様性とは反対のレール資本。これは日本や独裁国家特有なもので、恐いことに思考停止だけではなく、それ以外の選択肢やイメージをなかなか持たせないほど思いこませる力がある。

ユダヤ人の大量虐殺があった第二次世界大戦のホロコーストは勿論、90年代のユーゴスラビアやルワンダの内戦、911以降のイラク戦争など、ほぼほぼでかい戦争にはつきものなのだ。考えてみればそうだが、いくら戦争になったからとはいえ、人が人を殺せるわけがない。そこには「あいつらはこちらに危害を加えてくるおかしな輩で、人間じゃないから」とマインドをすり込む必要があるのだ。気付けばあったことも言ったこともないものに対して先入観と偏見だけが組み上がっていく。

そこで、情報を読み解く力としてメディアリテラシーは必要で、個人の考えだけでなく、多くの情報源が物事を認識・判断できる能力は今世界で求められているのだ。

価値観がバチクソ変われたわかりやすい森さんの傑作。

僕らの時代のメディアリテラシー

僕に「メディアリテラシー」という言葉を教えてくれた森さんが書いた上記の本を読んで、またその思考と理解は深まった。

大人になればなるほど固くなる考え方は厄介で、全体としてとらえることが出来なくなるほど視野が狭くなる。まして今や親指一本で大概のことを調べることが出来、あたかもそれが正解のように錯覚してしまうことがある。人の数だけ有る事実は多面的で多層的。だから集団はいつの間にか無意識に暴走してしまう。噂まがいの情報で我先にと駆け出す割には、大事なことほど他人事。けどそれ自体が情報を読み解く上で大事な自分の考えなのだ。それをシェアする場所も減ってきているから、何を手に取ったり関わったりするかで大きくその人の考えが変わる。特に見てもないのに信じ込む差別的なカテゴライズは、根拠のない妄想を大きくする。

どれが嘘とか本当とか、人の数だけ有る正解や真実を問いただしたい訳じゃない。テレビを疑えとも思わない。ただ、それはどういう根拠で世に流れているのかを一端立ち止まって考えてみて欲しいのだ。

今回のことで天然のウイルスでないことから、化学兵器としての陰謀とささやく人たちもいる。それも可能性的になくはないだろうが、「誰が何のために?」なのだ。このTOKYOオリンピック前の時期に、世界中に散らばっていった疫災は、誰の所に落ちるのか。

それくらい世界は謎に満ちている。だからこそ人として生きていく中で、大事なモノは見失わないように、情報に踊らされているだけでは何も残らないのだ。

久々の東京で逞しく育っている心強い妹たちとわずかなカフェタイム

それでも行う大阪の熱いライブハウス

話題の「大阪ライブハウス」とはまた別の大阪のライブハウスから

そんな誰かの手によって大事に創られてきたあらゆるイベントが政府の号令の元なくなっていく中、久々にライブステージに立った。ここにはライブに対する熱い想いを持った大人がいなければ成り立たないことだ。そんな催行の人たちにお呼びいただき、京都で出逢った僕が言いたいことを伝えているバンド「GREEN WORLD」のメンバーとして参加させていただいた。

会場に来た人、キャンセルした人。トリをつとめたヴォーカルさんは「本当にどっちでもいいよ」と愛を伝える。本当にそうだと思う。それでFANじゃないとか、ひよったなんてことはない。ただただ情報に左右されるしかない311の時のような状況に憤りを感じていたが、ライブは万全の状態で望むことが出来た。

日々色々あったろう大好きな仲間たちがしっかり駆け付けてくれて、それだけでも胸が熱くなった。音楽って、表現って、伝える事って、受け取る事ってほんまに凄い。

だからこそこの状況の中で万全をきして体調管理や除菌を徹底してくれた来場者も、主催者や会場側にも感謝したい。

京都で出会い、惚れ込んだメッセージ性の強いロックバンドGREEN WORLD

僕らは常に何かを選択して生きている

東京に行ったら立ち寄るパレスチナレストラン「bisan」のスドゥキと。

そもそも新型だろうが何だろうが、一日に50人以上が亡くなっているインフルエンザの感染・死傷者の数や、日本では2人に1人がかかり、3人に1人が発病する癌はそのままでいいのかと。

そこに及ぶまでの経路を放っておいている日本の食品・医療・教育事情も見直さなければ行けないのではないか。

冒頭に零させてもらった欠航になった船の仲間の話だが、もうすぐ次に切り替えたそうで、ショックからの立ち直りもはやかったそうな。なんかそれって本当に頭が下がる想いで胸がいっぱいになった。絶望に浸ってた自分って小さいなって。そんな船のナンバー2で頑張ってきた妹の精悍な姿勢に久々に泣きそうになった。出逢った頃はあんなにわからず屋で無力で傷つきやすかった彼女が、未だに40近いおっさんのおれに学び続けさせてくれる。

ぼくらはそうやって無意識にも常に何かを選択をしている。

今日どんな服を着てどこに誰と会うために、通勤の道も、当たり前に通う職場も、予期せぬ自体で思いがけない場面にあったときも、何もない日も。

そこにはこれまで培ってきたその人の意見と判断が問われている。

情報や噂話を聞いて、落ち着いて何かを選ぶ人と、ただただ思考が停止して不安の中で暴走する人。知らないと言うことの怖さは恐怖の根幹にある。

当初の大したことなさそうなものだったパニックが、思いの外世界中を巻き込んでは長引く疫災問題によって、経済だけでなく国の分断やただただ自粛しなければいけないということに繋がってきてしまっている気がする。ますます加速するであろう非常事態に、ぼくらはどう向き合えるか。

やはりメディアリテラシーを磨いていかねばとアンテナを更に深く拡げたくなった。

行きたかったロックカフェLOFT@歌舞伎町の前で妹と束の間の時間。

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