儚きセカイで哀しみ問イ斬ル

いろとりどりの手書きで書かれたポップが寂しく佇むシャッター外を横切って、普段からは数段と人がいなくなった大阪駅に背を向けて歩く。もし、これが本当にネットで飛び交っているような陰謀論だった場合、「どこまで人々の暮らしをバカにしてるんだ」と、やり場も裏もとれてない儚さと怒りが矛先を失う。

セカイの裏側はあっても、真実なんてない。それは立場と角度や層によって多面的にかたちを変える。それでもこのひとそれぞれの厳戒態勢の中、無意識に答えを求めてしまう雑念が起こる。

結局そんな僕も、何も言えないのかもしれないが、この間幾度となく声を押し殺してきた人たちの代わりに口を開く。情報で溢れかえる現状の中で埋もれながらも、それぞれのレスポンスが恐くないと言ったら嘘になるけど、自分なりに、ここに生きている証として。

スポンサーサイト

セカイは僕らが想ってるより美しいけど残酷なもの

これまで国内外問わずこのセカイの広さや深さを伝えてきたけど、「自粛」「自粛」でそれらすら触れられなくなっている現在。保証がどうの、友達とも会えず、見通しはつかないでは誰でも不安になる。かといってこれからの目処が立たなければ動くことも目標もなくなってしまう。まるで戦場。しかも見えない敵と不安との戦いである。

テレビは不安を更に煽り、ネットではどれが本当かわからないような話ばかり。世間よりちょっと社会問題に興味のある人らは知ったかぶりでもの凄い都市伝説を平気で言う始末。そりゃ誰だって不安になる。ならない人がいるとしたら、しっかりとした情報源や人間関係を築けている人だろう。人との繋がりをしっかり持てていたら孤立はしない。だとしたらコミュニケーション構築の苦手なこの国はヤバイのではないだろうか。

見えないものに踊らされるスタンピード

そもそもこのコロナがどんなものなのか、数字で見てみても明らか。勿論、数字では人の命は見えてこないことを先付けしておく。

【日本における一日の死亡者数】

一日の死亡者数は全体で3280人(厚生労働省)→癌なら約1000人、心筋梗塞+脳血管疾患で約1000人、インフルエンザ約80人、交通事故110人、自殺82人(仮に百歩譲って年間三万人計算)。これに対して新型コロナは一日2~3人。

だからと言うわけではないが、僕らが気をつけなければいけないことは他にも山ほどあると言うことだけは確かだ。けど日々の情報でかなり麻痺してるのではないかと。そもそも日本の医療体制や政治や選挙、食事にしても、今までのツケが貯まってきただけのことで、今始まったことではない。とっくの昔から議論されてきたことばかりでしかないが、常識というのはなかなか覆らない。人が何人死んでも。

僕らはいつだって知らなかっただけなのに。毎日の死亡者数を報道されると言うことはこういうことである。いっそのこと世界にも轟き散々社会問題になってる自殺者のカウントもとって欲しいくらいだ。

少なくとも、今まで自分が他人事として聞き流してきたことや見て見ぬ振りをしてきたものを「今」直視させられている。しかも下から数えた方が早いことに対して。ただでさえ気分がいいものではない。そりゃ思考も働かずに一斉に暴走する。そもそも誰かの哀しみに寄り添い想像する癖がついていれば気付いていたはずなのだ。

愛が通用しないものとして、これからは正論正義を掲げてくる無知で想像力のない人たちが更なる暴走を加速させるだろう。これが最も恐いことではあるが、口論をするつもりなんてさらさらない。ただただ「貴方の信じるものはなんなんですか?」って感じ。

言うても人はそこまでバカじゃないから

あのお店のあれが食べたい。行き付けのあのカウンターに帰りたい。誰々とあそこのカラオケで思いっきりスピーカーを揺らしたい。それぞれ想いも尽きないだろう。

家で視聴可能なもの以外、全てのエンターテイメントが足を止められ、セカイの騒ぎで日常が奪われた。この時代にここまで止められたのはどちらにせよ人災が多い分自然は嬉しそうだ。

ただ、みんなもそんなバカじゃない。これでは生きていけないし、行けたところでつまらないと、そもそも問題の根幹に気付くはず。そこが本来のポイントなのだ。

僕らは何に恐れ、何が不自由になったのか。スイスでは「今までの暮らしに戻りたいですか?」というアンケートに対し、「戻りたい」と答えたのはたったの9%だそうだ。仕事をしなくても国からの補助金が出て暮らすことが出来ればその方がいいという見解だろうか。

じゃあ僕らはそもそも何のために働いていたんだろう。お金のためと答える人はお金が有ればいいんだろうか。だったらそんな仕事はお金さえ入ってくれば無くなっても困らない。けど、仕事や時間とは、人生とはそんなものなんだろうか。

これから一人ひとりの判断と思考が基準に様々な分岐点が見えてくるだろう。そもそも僕らが日々何に情熱を掛けて生きてきたのか。どんな人生にしたくて、周りにどんな影響を与えたくて。これらは普段だといつでも意識することは難しいから初心に返れる。そんなことを考えたり動いたりするにはもってこいのタイミングとして頃合いではないだろうか。

僕らに問われていること

そこで今僕らに問われていること。

普段当たり前に通り過ぎてきたもの、時間を使っていたことへの見直し。それらは本当に必要だったのか。モノや時間の使い方だけでなく「人の断捨離」も進むかも知れない。

自分の中で本当に大事なものはなんなのか。

僕は常日頃どうやったら世間の逆境の中で愛すべき仲間らと夢の船を出し続けられるのかを考えて動いているが、余計その気持ちは燃えている。今だからこそリアルな世界や人に触れるべき。かといってウイルスが万円しているところに行きたいというわけではない。そもそも今は何処も厳しくて行きたくても行けない状況がある中で、船は更に厳しく管理されている。それでもいつ解除されるかわからない緊急事態宣言の中、いつでも予定通り出航できるよう僕らは止まらない。けど人々は不安に押し潰されるようになっている方もいれば、応援してくれる人もいる。逆にこういう状況だから、世界のロックダウンが解除されたらやりたいことを思いっきりやりたいと気付いた人とも毎日語っている。

じゃあこれからは何に気をつけなければならないのか。少なくともウイルスへの防御に低いマスク付けてるかどうかとか、外出している人たちを罵倒することではないだろう。

わからないことに怯えて振り回されるくらいなら、何が不安でこれがなければ何がしたいのかくらいは想像できる人でありたい。

このセカイが気付くべき封印から解かれて大事なものを見つけられた人々の幸福が解放されますように。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする