新しいコミュニケーション

急いで帰ろうと想ったら逆方面の新快速に。何処行っても人が少ない兵庫の駅にて。

最近大っぴらに人に会えなくなってからめっきりZoomでのイベントや飲み会が増えた。経験したことある人も言いたいことは色々あるだろうが、この違和感はどう埋めたらいいんだろうか。

ただこれは価値観が変わる時代の節目には必ず起こることだ。今までとは違うが当たり前になる習慣の変換機。違和感を感じて当然。

けどこれは果たして言い方向転換としての違和感なのかと思うと、やっぱり疑問が残る。

テクノロジーの進化と僕らの関係性の深度は必ずしも比例するものではない。

ツアー以外でオレンジを着るのは5/2くらいだろう。気分一新。

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オンラインセッション

言い出しっぺ不在のオンライン。ようやく会えましたねの会になった。

普段出会えない人と出会えるイベント。これは住む地域によって様々な人たちが集まる場でもある。オンでもオフでも「始めまして」は変わらないが、場所を問わないというのは利点かも知れない。東京・大阪・千葉の田舎や海外まで。今まで出来たことだけど、あえてやろうと想わなかった試み。それに対して、少しでも日常以上の機会を増やそうと沢山の人々がネット越しに新たな場を創る。そこで見え隠れする人の表裏や人間力や愛の度数。

間違いない発言を見せかけだけけではなく発する人の人となりは一目瞭然だ。

こんなことがあったからこその出会い。場所的にこのメンツを一堂に会することは難しかったことも難なく繋げられる。けれど本当にそうだろうか?

それでも今までの出会いだってそうだったはずだ。繋がるべき人はどこに住んでたって、例えいきた時代が違ったとしても引き寄せあう。

それでもやっぱり直接会うこと

普段約束せずとも会えていたいきつけは全てクローズ。大好きな京都の仲間ともなかなか会えなくなってしまった。マスクを付けてないだけで白い目で見られるご時世の中、マスクを付けない人たちの意識と免疫の高さに頭が下がる。

それでも顔を合わせている同僚や、タイヨウに照らされた芝生も、直接会うことの大事さが心底胸に染みる今日この頃。変わり果てたのは海や川だけではなく、人もまた同じで、良くも悪くも時代の分岐点を露わにしていく。

このご時世について行ける人行けない人。100年前の世界恐慌しかり、失業率は自殺率と比例すると言うから困ったものだが、これは頭の柔軟さとピンチをチャンスにとらえられるかどうかという考え方の違いだろう。ビジネス的な面ではなく、人として。

そしてオンラインより何より、やっぱり直接話す方が面白いということ。それはごく当たり前のことかも知れないが、先日オンラインの飲み会があった。数人がその会場となるシェアハウスに集まっての放送と言うこともあり、近所の僕も立ち寄った。オンエア中は確実の部屋や距離を置いて行ったが、15人の参加と言うこともあり、なかなかイメージしていたディスカッションにはならなかったが、終了後に今に集まったときのお疲れ会は心底生きている実感を共有できた。勿論そこにいた人たちは体調管理や食事に気をつけている免疫が高くタモツ人たちとだけ付け加え、こういう当たり前が出来なくなってきた今だからこそ、改めて感じる大事なものもあるのではないだろうか。

そもそも僕らは何に怯えているのか。見えない未来は今までと変わらない。ただ変わったのは何かとコロナのせいにしてしまうところだ。

愛しの行き付けのBARでのオンライン。この次の日から自粛閉店に

コロナ以外のことはどうなのか

たまらず1人食べに行ったNIBOJIRO。ヒヨって濃厚とマシマシにしなかったこと後悔。。

そもそも「今はコロナがあるから」という大人の方々、もし、コロナがなかったらやりたいことは今出来ていましたか?

少なくともそういう人はコロナ以前にはやりたいことをそこまで選んでなかった人が多い。そしてこれを機に結果論で後悔をしている。

結局はそれを言い訳にして何でもかんでもコロナのせいにしてないだろうか?

それでは選べないわけである。足るを知ることも大事。そもそも僕らが幸福や豊かになるのではなく、現時点でのそれらに気づけるかどうかが大事。

そしてガクトさんも言っていたように「知って覚えて動いて考える→知覚動考える(ともかくうごこう)」。大体の人は「知って覚えて考えてから動く」。だから考えるところで動けなくなるらしい。

これから世の中がどうなるかなんて一部の層以外はわからなくて当然だから様々な都市伝説が飛び交う。裏もとれてないような記事や噂が無責任に肥大化していく中で僕らは何を信じ、何を選ぶのか。全ては自分次第で変わるこの人生で、時代や常識の転換期に何に気付けるのか。

これからは更に信じられない常識の元で僕らは生きていくことになるだろうが、それらをどう受け入れ、共存していけるようになるのか。ある意味、インフルエンザもスマホが出てきたときも一緒である。今では当たり前になっていることも、未来からしてみたら非常識な琴なんて腐るほど在る積み重ねが今なのだから。

少なくとも僕は、あれこれと言い訳をせずに物事を選べる人間で在りたい。

hide様が亡くなって22年たった日に裏山越えて南禅寺へ

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