都市伝説と現実の狭間で気付いた知ってたつもり

最近再確認したこと。哀しい現実、そんなことない現地で生きる人々。

このギャップは何なんだろうとなんとなくモヤモヤしていた。

それは人々による想像力の欠如ということ。

世界を知ったような気になって、自分が狭い範囲で盲目になっていることに気付かないこと。

そんなこんなで仲間たちと山に登ってきた。これもまたなんとなく、こんな時に会いたい人たちと。

険しい道だったけど仲間と楽しく登った葛城山

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巷で賑わう都市伝説

想像以上に険しい山道。久々に全身汗だくになり、2.3時間後に山頂で真っ赤に染まる一面のつつじを眺めていたら、アーシングで裸足になった足裏から毒素が地球に抜けていく感じがした。

僕がこの間イライラしてきたことは、顔も見えない人らに対する嫌悪感だったからだ。

コロナ禍になってからというもの、どの情報に信憑性があるのか、メディアリテラシーを学ぶ僕らですら全くわからなくなった。これは311のとき並の情報の制限だろう。政府の情報は宛にならない。それはあの時に海外のメディアを見て学んだ。けど、10年近くたった今、更にネットは拡がりを持ち、ほぼほぼどれが本当かなど見分けはつかなくなってしまった。そしてここに来て露わになってきている世界の裏の支配者たちのことだ。もはや都市伝説の延長上に、知ったかぶりでアウトプットする人々が、異常に冷徹に感じた。

「人口削減のためのウイルスばらまき作戦」「いらない企業を潰すための陰謀政策」「」

まず大概共通しているのは、こういうことを心なく広めている人らは世界を見たことがない。だから何の信憑性もないし、特に揺れ動くこともない。そもそもその裏も確証も取れてないのだから。

けど中には世界を見ていて行っている人もいる。これもまたピンキリだが、恐いのがそれを「本当のこと」と自分では大して裏付けもとらずにまた拡散する人。

これ。これが嫌で嫌で仕方なかった。

中国に友達もおらず、行ったこともないのに「中国なんて×××」とヘイトしている人ら並に非情に感じる。

そこには圧倒的に想像力と愛が欠如している。

仲間と見た景色と共に食べた最高の牛丼

出逢ってきた声

今まで69の国と地域訪れてきたけど、それらが揺らぐほど現代の情勢や情報は入り乱れている。国が情報も体制も管理している以上、これからどうなるかが全くわからない。その分、事実かどうかわからない情報に都度飲まれそうにもなる。

それでも僕がこれまで出逢ってきたジャーナリストのアウトプットや、世界中で出会ってきた人らに想いを馳せる。辺境の地で会ったあの人は無事だろうか。そもそもコロナに感染すること自体が宝くじを当てるよりも難しいと言われているくらいだから、そこまで心配はしてないが、この世界的ロックダウンの嵐には巻き込まれているだろうし、生活できているかは心配である。

「僕らがまず出来ることがありますか」と言う問いに対し、ビジャエルサルバドル、リオデジャネイロなど南米のスラム街や、グアテマラなど中米の先住民の村、中東の難民キャンプや南アフリカの黒人居住区、従軍慰安婦のハルモニらなど、大抵の人が言っていたこと。

「貴方が今日知ったことを1人でも多くの隣人に伝えてください」

これが僕らの出会いのミッションでもあった。

ネットやテレビや映画じゃわからない現地の人の声なき声。掛け替えのない愛しい日常。僕らはこの形容しがたいこの地球の一断片を、区切ることも、言い切ることも出来ないのだ。

そんなことを想いながら、先日再開した万博公園エキスポの展示館を見てきた。

今からちょうど50年前、この地で77ヶ国の国々が180日間以上かけて日本万国博覧会が行われた。毎日寿司詰めになった人々が数十万人も押し寄せ、最新のテクノロジーと各国の文化を交換し合う日常からは遠く離れた異空間に興奮した。時は70年安保闘争のまっただ中の時代。1959年にゲバラ・カストロらがおこしたキューバ革命を皮切りに世界中が革命に燃えていた時期。高度経済成長や万博の象徴として岡本太郎氏が「発展への疑問」を投げかけた反骨精神が込められた太陽の塔。数年前に初めて生で見たときから惹きつけられた裏付けの歴史はここにあった。

特に惹かれたのが世界中の人々が映し出された写真展だ。

一つひとつの奇抜な建物が立ち並ぶ各国の展示館も興味津々だが、実際にテレビや教科書の中ではない生の人々が集まってくるその様は地球一周そのもの。まるで生まれてこの方ジャグルや砂漠で育ってきた人が突如文明社会に迷い込んだかのような、当時の人々の心境は計り知れない空間だっただろう。今やそれ以上の現実が目の前に実現しているわけだが。

僕らが何十年もこの国にいてもわからないように、当時の万博公園を埋め尽くした展示館や、仮に世界を何周も回ったところで見渡せはしないもの。それが世界だ。

世界中に存在する本を全て読むことは物理的に不可能なように、これもまた、断言できる世界なんて無いはずなのだ。これは世界を回り続ける僕らが常に持っている視点であり、わかった気になることがどれだけ恐いことかと言うこと。知れば知るほどセカイの広さと深さに圧倒されるものなのに、答えを求めるからどれも思考停止している。

それをわかったように好き勝手広められるのも、またインターネットの恐ろしいところだ。

当時の再現モニュメント。自然と調和と愛に溢れた空間が目に浮かぶ。

知ってたつもりでも想像できてなかったこと

けど中にはいい情報もある。

「人が余分なエネルギーをしなくなったことで、環境改善して、海や川や空が綺麗になった」「人々に平等に補助金が下りるようになった」「普段は会えない人たちとオンラインで新たな出会いや再会が出来た」。実際の所どうだかは知らんけど、もはや判断基準の曖昧な統計すらあてにならない。

どちらにせよ、東南アジアや南米の人々の一日の労働賃金が1ドル行くか行かないかとか、社会主義国家キューバでの平均月収は数万円+生活用品配給でやっていると言う話を聴くと改めてこのセカイに対する想像力の欠如を反省する。

知っていたつもり。けど、実際目の当たりにすると想像を絶する日常の厳しさに絶句する。常日頃この手の話にはなるべく寄り添って考えられるようにいたいと想うが、その立場になってみないと一生味わえないのだろう。

だからこそ、簡単に人を支配しているような話しでくくることに強い違和感を感じる都市伝説。そんなこんなでモヤモヤしていた自分には、たまには思い切って気兼ねなく話せるメンバーと大自然を感じてみるのも悪くない。と言うかこういうのがやっぱり必要不可欠なんだろう。

共に目的達成出来た幸福のひととき。帰り道この山に「ひざー!」と悲鳴がこだますことになるとは露知らず。

答えあわせてもらえないし、そんなのないからこそ

そもそも世界の真実を知りたいと思うことこそが愚問なのかも知れない。

真実や正解は人の数だけ在るから創らない方がいい。これを巡って人々は己の正義を元に争い続けてきた。そして今もなお、人々は学べずにいる。いや、「人の上に立つ人が」と言った方がいいかもしれない。

火のないところでも煙が立つ現代2020年地球。

世界の黒幕が罪のない人々を陥れるために常に支配され続け、戦争も地震も情報やウイルスも操り放題。そもそもこれ自体がプロパガンダなのかも知れないのに。

ただ確実に言えることは、人が不幸になることで面白いことなんかあるはずがない。そしてそのリアルな命への想像力も失いたくない。

僕はどんな立場になっても、これだけは忘れたくないと強く想った。

人々が戻ってきた万博公園。

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