俺らの船

バルパライソ。世界遺産の夜景の前で

今日は本気のお願いをさせてもらいたいと想う。

この場ではあまり仕事のことは書かなかったが、今日で最初で最後でも書いてみたい。それだけのことがあるのだ。

コロナショックで海外への航路を絶たれた今、地球一周の船旅を出す僕らの職場は最大のピンチに陥った。そんなときにだ。俺らスタッフ以外の仲間たちがたちあがってくれたのだ。これまで僕が10回乗った船での出会いや感動がよみがえる。そう。いつだって僕らはこの出会い事態に支えられてきたから船を出し続けることができた。そんなそもそもの話。

うちの船が1983年から出航し始めて37年。僕が初めて乗船したのは2005年の48回クルーズだった。

2005年、初めて地球を一周回った船上スエズ運河沖でのL洋上フェスにて

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48回クルーズから15年間船を出し続けていること

24歳、ヴェネツィア・ヴェッキオ橋の前で仲間らと

「けんさんはなんで最初地球一周に行こうと思ったんですか?」と聞かれるとき、大抵は「海賊になりたかったから」と答えてきた。これには深い意味があるからその話はまた今度にして、どうしようもなく光を見いだせなかった日本から海の向こうを見渡したかった。

世界遺産も友達づくりも、ましてや国際情勢なんてものにも興味はなく、ただただこのまま人生を終えることが嫌だった。それくらい人生を終えたかった。けど、どこかで悔しかった。それまで憧れていたはずの人生を少しも体験できずに路頭に迷っていた。今思えばその考えこそが狭く小さな戯言だったのだが、要はするに何も知らなかっただけなのだ。

乗船前のピースボートセンターとうきょうに足を踏み入れてから、みるみる自分が変わっていくのが分かった。大嫌いだった知らないことが好きになり、大好きだったマルボロとコーラもやめた。世界に詳しい人がいたらすぐにその人の前に行き、時間も都合も気にせず語り合った日々のおかげで、いつの間にか人が大好きになっていた。

特にお世話になったのが洋上講師の水先案内人の方々だ。

僕らはただ単に知らなかったのだ。学校やメディアだけのせいではなく、人として本来の豊かさややさしさがそこにあったのにもかかわらず、見つけることさえわざわざ困難にしていた。大嫌いなあいつも、対岸の火事の戦争も、自分と関係のないことなんてないんだって。

テレビや本や映画で見る人々との距離が縮まったおかげでさらに世界が近くなり、そして広がり、自分の中の理解が深まった。いつでも自分が思っていたことは先入観にしかならず、初めて知って興味を持つことで、世界はどれだけでも変えていけるものだと知った。そもそも世界は僕が見る目の前のことなのだから。

そんな毎日を海の上で過ごしているとき、不条理な世界を変えるにはまず自分からと学ぶ。そしてそれらの道しるべであるカッコいい大人の存在との出会いは必要不可欠。まさに水先案内人。自分もこんな風に年を取りたいと心底うらやましくて悔しかったけど、その出会いがうれしくてたまらなかった。

そんな船の上では、僕が大嫌いだった楽しそうにする人たちとして、その輪に入れてくれる仲間にも出会った。   初めての青春に付き合ってくれた仲間たち

そう。僕はそれまで世界も人も自分のことすら知らなかっただけなのだ。

そんなきっかけの船を出している今の職場に憧れと恩返しを込めて下船後に働き出して丸15年。下船前に「今後は最も世界で劣悪な環境で行きてみたい」と思い、途中まで船で知ったパレスチナに行こうとしていたが、結局日本を選んで今はよかったなと思っている。

この道を選び続けてきたことに対しても、一片の悔いもないどころか、ホンマに良かったと痛感できるのは、これまで出会ってきた人々のお陰でしかない。

それぞれの船を出す意思

初めて創った自慢のチーム「54海越海賊団」@ホノルル

ここにはたくさんの想いを持って船を出す仲間たちがいる。スタッフ・ボランティア・乗船者問わずだ。それも地球を一周したいと思う人たちがいたからここまで続けてこれた。もちろん自分と合わない人だっている。けど、そんな人もいるからこそ多様性や違う人の意見もガンガン入ってくるのだ。

そもそも僕らの船は安全が確保されたところでないといけない。一人でも何かのテロやウイルスや事故で亡くなってしまったらアウトだからだ。だからこの春・夏を目指して出航することが出来なかった仲間たちがいることを想うと体が咲かれる思いだ。

紛争や災害などで行けなかったことはあってもそれは国単位のものでしかなかったので、寄港地を変えれば済むことだが、今回は世界中を巻き込んでの大問題。それでも次回以降の船を楽しみに勇気をもって動く人たちが待ち望んでいる世界がそこにある。だから僕らの動きを止めるわけにはいかないのだ。かといって僕らは船に人が乗ってはじめて収入があるNGO。これまでも人数が足りない時には共同代表である僕らスタッフが身銭を切ってきた。その話を人に言うと「そんな仕事辞めたほうがいいじゃん」という。こっちからしてみたらそれこそ馬鹿げた話だ。

だったらそんな船は存在しない。これまでもそんなバカができる仲間がいたからそこで人々や世界が繋がってこれた。様々な企業が潰れていく中、僕らが存続できたのはそれでも船を出したい・乗りたいといった粋な人々がいたから成り立つ。ただの仕事と思っている人には理解できなくてもいい。それでもすでにこんなに協力応援してくれる人がいることがうれしくて、今この瞬間に今までの何百万を寄付したと思えばなんてことはない。それこそまったく同じことだと思う。少なくともそれほど毎回僕は様々な人に出会わせてもらい、救われてきたし、感謝と愛を感じることが出来た。もちろんそれができるのは船だけではない。それでも船には毎日そんなチャンスや可能性が精神と時の部屋ばりに生み出されていくのだ。

運命を変えた「66旅ROCK海賊団」@バンクーバー

一生に一度のお願い

今この場にいることが出来なくなった弟分と@ハワイイの港からえらい遠いビーチにて

そんな船がなくなるとき。それは人々が世界や船に対して興味・関心を持たなくなったときか、俺らに金がなくなったとき、もしくはそれこそ世界が平和になったときだろうと思っていた。

それでもこうやって力を貸してくれる仲間がいることの凄さを、また改めて感じている今がある。学校や留学、転職や旅といったその他の一つの選択肢としてこれからも船を出し続けたいと、改めて今思わせてもらっているのは、これまで共に世界を学び、人生を一緒に楽しんで共に生きてきてくれた大事な人たちのおかげ様である。

これから先、いつこのコロナ騒動が終わるかもわからない。なかなか変わることのできない人類の学びもあるけど、それでも人間はそこまで馬鹿じゃない。あけるときは一瞬で世界は変わると思う。

どうか、僕らに自由な選択肢を増やすお力添えをいただきたい。

#がんばれピースボート」クラウドファンディング
期間:2020年7月7日(火)7:00〜7月30日(木)

載せきれないほど掛け替えのない家族・恩人たちと@元職場の披露宴会場ガーネットの間にて

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