心の満たせ方

セブンで見つけたかなりロックな京都土産

長年抱いてきた個人的な夢が不本意ながらも叶った。

安倍総理の辞任。

残念ながら次期総理は森達也監督のドキュメンタリー映画「i新聞記者」で理不尽な対応を繰り返してきた菅官房長官というのだから、この夢も悪夢に代わる恐れがあり明るい展望はしばらく望めそうもない。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/55442

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この間の願い

「アっベっはっヤーメロっ」。2015年国会議事堂前。メディアでもほとんど取り上げられることがなかったが、安保法制強行採決がされそうになっていたあの時期、永田町は最大時20万人のデモが行われ、このシュプレーヒコールを暗い空の元、大合唱していた。

ついこの前まで日本の首相はしょっちゅう変わっていたのに対し、この戦後まれにみる強行採決の連続で、「特定秘密保護法」「共謀罪」「安保法制」「集団的自衛権」に加えいつのまに武器三原則もなし崩しになり、見事に根幹から戦争のできる国にされてしまった。

高円寺のバーで話したことのある与党支持者の社長さんは、「歴史上ここまで仕事ができる首相はいない」と豪語した。その視点からしてみたらそうなんだろうと納得してしまった。何十年も守り続けてきたものがいとも簡単に、無関心なマジョリティを巧みにかわし、権力の数によりやりたい放題やられてしまった。

僕らには知る権利も実質選ぶ権利すらもなくなったかのような絶望が降り注いだ。

ヨーロッパをはじめ、隣の韓国や遠きイスラムの国々では人々が国から自由を奪い返している時代にだ。僕らの国では人々が考えることすらさせてもらえないのか。とさえ思ってしまうほどの圧倒的権力によって、個々の国のお偉いさんは市民の声を無視することが仕事なのかとすら思った。

HARDROCKCAFEも休み

死にたがりの未成年よ

そんなこんなでこの国はできているから、世の人々もやってらんなくなる。逆を言えば今の世論のレベルから、その国の政府はできあがる。

なんだからわからない恐怖と不安の中、世の中こんなもんなのかと絶望する若者たちがたくさんいる。「自殺は国家の殺人」といわれるだけあり、国側もその計上方法や数自体をあいまいにしてきた。僕自身そういった感情を持っていた故に20代後半からかかわってきた若者への人生相談。最初は夜回りで自傷行為や自殺願望をもった夜の住人たちに対してブログで出会い、次に不登校・引きこもりなどのコミュニケーションワークショップを船の上のフリースクールで築き、心理カウンセラーの資格も取り、今はオンライン上で未成年の子たちの話を聴かせてもらっている。どの出会いも僕から助けたいと思ったわけでもなく、ただただ、この世界を勘違いされたまま辛い思いを抱えて逝かれたくないからだ。

それほどのこの世界はまともに生きた分、打ちのめされる。純粋な子、率直にその違和感に気付ける子が、どうしてそんな目にならなければいけないのか。やるせない。そんな怒りがもとになって僕は今動けている。

目の前に映る世界をすべて自分が選び、実現させてしまっているサイクルがあるなら、いつからでもいくらでも自由に変えられるからだ。その気付きやマインドを持つためのヒントが与えることが出来、共に乗り越えた壁の先を一緒に見たいのだ。単純にただそれだけ。

だから未成年よ、早まるな。この世界はそこまで愛もなく、浅はかなものでは決してない。

月一恒例座禅会

自分を落とすもの 上げるもの

結局、悩みというものはそのほとんどが幻想だというのは紀里谷氏。

今だからこそわかるが、ホンマにそうだと想う。結局は自分の目の前に見えている世界を選んでいるのもまた自分。選ばされたものなど何一つないからこそ、自分を守るために必死でバリアを張る。

そのバリアが虚勢を張る人もいれば、自分のキャラを創っては八方美人的に気づかいをし、疲れ、陰口を叩いたり、それすら言えずに自分を傷つけたり「自分など生きている意味などないから消えたい」と、自ら自分の価値を下げたりする。

全てはこの世界の捉え方と、自分の在り方なのに。

誰かのせいにしたり、自分を責めることしか今の自分の守り方を知らないというのは、本当にさみしいことで、ぜひともその手を取りどん底から引き揚げたくなる。「ちょっと待て。お前がいる世界はそんなもんじゃねーよ」って。「勝手に決めつけんな」って。

とどのつまり、そうやって悲劇のヒロインや社会から孤立させられたと思っているほうが気が楽であえてそれを選んでいるケースも実際多い。以前の僕もそうだったし、今話を聴いている子も結構当てはまる。

要はいいか悪いかではない。それを自分自身が選んでいるという自覚を持つことだ。そうすることによって変えたいもんがあればようやくそちら側へ勇気を出して踏み出せるから、どんな名言を用意しても響かないから、自ら気付くしかないのが皮肉なこと。だけどそれがその人自体の課題だから、乗り越えてもらうしかない。そのための壁。自分を今よりもこの世界を楽しめるようになるために。

ならばどうやって自分を上げたらいいんだろう。

イノシシが狛犬的なROCKな神社@祇園

胸を奮い立たせるもの

僕が感じたい・もしくは周りに感じてほしいものはそこにある人が生きている「想い」だ。奇跡のストーリーは諦めない奴らの頭上にしか舞い降りない。

この間紹介してきた本「地平線を追いかけて満員電車を降りてみた」を見てみても明らかなことながら、僕らはいつもやりたいことや夢に言い訳をつけては諦めてきていた。

だからいつまでも抜けられないバッドスパイラルにはまる。

自分で選んでいるのに人のせいにして諦める。

これは今相談に乗っている未成年と、周りにいる20.30代の仲間たちもそう大差はない。あるとしたら何歳になっても同じことを言って周りを代えては言い訳ばかりする人からしたら、未成年は自宅と学校のみという狭い世界がゆえに深刻だ。

だからこそそこでかかわる家族(親戚含む)や学校の先生、塾やバイト先(これは高校生以上か)の大人にかかっている。それらにかかわりがあるのが僕ら大人である。

どこまで行ってもその人に対してどういう言葉や行動が、この世に生きているという実感を感じてもらえるように伝えられるのか。

誰に対しも聞く万能薬が存在しない分(そんな仙豆みたいなものがあったら逆に怖いが)日々学びの連続の中で、目の前の世界を創っていきたい。愛の名のもと、共に生きるため。

仲間と向かった琵琶湖近くの神社

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