人の悩みは大概、自分で選んでしまっている

大好きな兄弟たちが京都に遊びに来てくれて恒例の終電逃し

携帯が震える。今日も誰かがこの世界に絶望している。

僕だっていつも元気なわけでもなく、たまには誰にも会いたくない時だってある。けどそれはほんのひと時のこと。結局誰かに会いたくて、今日も広い空の下で歩いていく。

自分も周りももう嫌だ。最近この手の相談が非常に多い。そしてこちらもそれ以上どう伝えたらいいかわからないが、とどのつまり、困っていると悩んではいるが、ほとんどの人は今の現状を変えたいとは本気で思っておらず、ますますその深い身に入りたがってしまうのだ。

このからくりについて語りたい。

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悩みとは「人と比べて」しまうこと

先日読んだ紀里谷さんの本に書いてあったこと。人は実に人に悩みながら生きているが、それらの根幹には多かれ少なかれこういう原因がある。

今回のコロナショックで僕個人もかなりの負債を支払った。正直貯金なんて残ってないどころか借金が増えたほどだった。それでもより儲かっている人がいたり逆に職を失うくらいならまだよくて、多額の負債を抱え込んで天から地へ一変した経営者もいる。どんな理由があれ、自殺者も増えた。芸能人ですらコロナ?や自殺でボコボコ亡くなっている。

そこまでなってないからマシ?

焦った人々は周りの甘い声に委ねられ、結果下記のような詐欺まがいの余計な悩みを抱えてしまう人もいるくらいだ。

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6372791

近くの仲間もやっていたので結構注意した。そもそも何のお金かわからないような損得だけで金や人を見ていては最も必要な信頼を損ない、手元には何も残らなくなる。罰金どころか逮捕までされては本末転倒である。

そこで、自分はそこまで言ってないからよかったと想うことも、人と比べた結果である。これが悪く転がれば、その比較から逃れることはできない。

「だれだれちゃんはあんなにいい友達がいるのに」「これをやっていたらあそこよりも安全に儲かった」「あのときああしていれば、もっと可愛い彼女が出来たかもしれない」「よそのうちとは違い、うちのおかあさんはちっとも自分のことを考えてくれない」「あそこで働いていたほうが暇で楽だし時給もいい」「あの人と結婚していればもっと幸せになっていた」。。。

これだけの人や物が入田汁世界だから仕方のないことなのかもしれないけど、隣の芝は青く見えるものだ。

今回僕自身お金には困ったが、実際それで今ごはんが食べられなかったり、やりたいことが出来てないかと言ったらそうでもない。だったら悩む必要なんてないってこと。

いつだって肝心なのは、周りがどうこうではなく、今の自分はどうかということだ。

ホンマに刺激的な大人たちが集まる「若者メンタルサポート協会」の面々。

失敗を繰り返してしまうことは、まだ足りてない証拠

京都が好きになった大事な場所

「だったらこうしたらいい」。

人や本、テレビや作品なんかでも多くのヒントを直接的にも間接的に設けてきているであろう僕らの脳は、出来そうなことや興味があること以外あまり受け付けていなかったりもする。

人に相談するときも、打開策や選択肢を得たいというよりも、ただ聴いてもらいたいというほうが多いのかもしれない。たとえ前者だったとしても、本当の意味で理解して気付いて改めてない限り、答えのない世の中では不毛なことだ。

要はするに、自分で心底気付かなければ状況は変わらないということ。むしろ変えたくないのかもしれない。どんだけ辛くて死にたくても、悲劇のヒロインであり続けたい思いがあったり、変化を嫌い、いつも野口や言い訳を言っているときのほうが安心感を感じるのなら、無理に変えなきゃいけないこともない。それでも隣の芝生を青く見て、人は不平不満を繰り返す。

そしてここまでやってるのに「全然よくならないじゃないか!騙された」とすぐ諦める人しかり、本当に勝手なものだ。

自分がどれだけ意識しようが、己の変化が甘ければそれはただ単にまだまだ足りないということ。ただそれだけ。実はもっとできる。ただそれだけのことって思わせてもらえたら逆に望みたくなる。

そもそもそんなちょっとわかったくらいで知った気になったとしてもすぐぼろが出る。何もそこまで簡単なことにこれまで悩んでいたわけではないんだろうから。

西郷さんとの対談企画ホンマにあっという間の盛沢山。シリーズ化も楽しみにしてます。

気付いて「改める」ための試練

おかげでようやくこれた大阪ロフトWEST

人生気付いてなんぼ。

我関せずと他人事に流してしまう人と、自分事としてとらえる人で雲泥の差が出来る。ここもまた比較になってしまうが、どこまで行っても要は自分。そう感じてしまう今や、誰かの愚行が気になるようではまだまだ自分の合わせ鏡。

ただ単に、波動のいい人と共に過ごす時間を増やすだけで癒されていくものなのに、狭い世界に入り込んでしまうと勝手に絶望してまうバッドスパイラル。

実際、自分のこととして気づき、向き合うのには力がいる。けど、そこまでくれば、あとは自分の言動を気を付けてやるだけで、それまでの負の連鎖は続かない。言霊は返ってくるように、やはりこの世界は自分でしか築いていけない。

そうやってそれぞれの課題を超えるための魂の修行を体験するために日々試されている自分。

面白いじゃない。共に受けて立とう。やった分だけ多くの人と分かち合える。だからその歳で「死にたい」なんて諦めないでほしい。君と同じ時の自分もまあまあやばかったからこそ、今を想像以上に楽しめている。

いつかこの空の下、君とも実際出会えることを祈って、今日も生きさせていただきます。

今日も繋がれている「今」に感謝。

いつか仲間たちと囲みたいキャンプファイヤー@摂津峡

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