「もしもあのとき」を無くすための今

コロナ禍とは思えない2020年のハロウィン@道頓堀

あの悲しみの夜から一週間と少しが過ぎた。月一坐禅会(まさかの寝坊)の帰りに出勤前のHEP FIVEで手を合わせる。想えば惨劇に巻き込まれた事件は表も裏も何気に数えきれないほど実在している。昨晩久々に感じた密での人込みを体験させてくれたナンバのひっかけ橋や三角公園に来てた人すら例外ではあるまい。

生きていれば誰でも悩む。俺もそうだから一人で自分と対話をしに行ったようなものだ。知らない人に声をかけて写真を撮ったり連絡先を交換したりする光景を何度も見るが一人ぼっちで普段から黒づくめの俺には誰も声をかけてこない。非日常という時間でなければ日ごろのうっぷんが出せないなんて、「ワノ国の火祭り」でもあるまいしというような国になっているようなものだな。久々の夜回り気分。

なんとも儚い風は、今日もこの空へと舞い上がる。

毎朝手を合わせる通勤路

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「もしもあの時」を無くすため

大参謀おつるさんの名言

先日凄い映画を見た。今の僕にはかなりリアルな夫婦の話。けどこれは家族だけでなくてすべての大事な人に言えることだと想う。仲間、兄弟分、同僚、掛け替えのない関係の人たち。

もし、相方が不治の病になったら自分はどうするだろう?

もしくは不慮の事故で大事な人を失う気持ちってどんななのか、僕はあまり想像したことはない。けどこれはニュースにならずとも毎日どこかでそんな別れが突然訪れていたりする。

「失うものが何もない人は怖い」とはよく聞くが、じゃあ守るべき人に出会った人は弱点だらけなのかというとそうではないと想う。愛する人々が増えたらそれだけの力が集まるのと同じく、その分生きていく希望と安心に包まれる。

出会いの数だけの大小限らずの別れがあるのであれば、いつだって後悔しないように接していたいと想う。だけどもちろんすべてがそううまくいくわけではない。近くて安心しているところほど無意識にも漏れていく。別に死じゃなくても別れに後悔はつきもの。けどそれもまた日頃の行いの積み重ねの結果。それで何かに気付いて改められたら、出来る出来ない・愛があるない限らずどんな出会いも糧になる。肝心なのはそれをしようとしているのか・気づけて改められるかどうか。愛しい時間を一人で抱きしめる時間を創る。

38年に一回というハロウィンの満月を眺めながら大事な人たちの幸せに願いを込めた。

一人の背徳@一風堂京都駅店

そうならないための学びと実践

青蓮院と知恩院の間にあるお宮の参道

最近よく一人で色んな所に行く。誰かと行ってもいいけど、たぶん自分と話したかったんだろう。自然や人込み、家問わず、いろんなところで一人の時間を味わう。

多分どこかで習うのも基本的な知識や見解が増える分いいインプットにはなるかもしれないが、なによりも大事なのは気付きを得てからの実践という学びだろう。

誰でも失敗は怖い。けど、そこからじゃないとえられない教訓もまた学びなのだ。結果何か大事なものを知ったところで、それを実行しなければ自分も地球も周り日常だって何も変わらない。

大好きな周りに頼らず、人知れず一人で目を閉じ、歩き、食べ、自分を磨く。

ストレス解消は人とガッツリ語ること。そんな毎日を駆け抜けてきたが、そもそもストレスをためなければそこまで生き急ぐ必要はない。それでもやはり人と話す時間を持たない分またストレスが溜まっていくから笑える。

まさに今朝の座禅会での法話テーマだった「自分との対話」だ。「悲しさや苛立ちに対面したとき、自分にどういう言葉を語りかけるのか」。それによって毎日の受け取り方も発し方も変わる。昨夜の久々の夜回り(ただただ心斎橋を歩いて終わったが)しかり。行きたいところに行きたいタイミングで行けるドキドキに感謝しながら、今この世界を感じる。

意味なんてないんだろう。そもそも求めていないものに対しては何も言うことはない。けど、これがハロウィンじゃなくても普段からできたらもっと素敵だね。年に一回じゃなくても、人生を楽しく生きることに関しての希少価値は減らないだろうから。

コスプレイヤーでごった返し無法地帯になっていた三角公園

今日も奇跡的な今に感謝

時間がたつにつれて勢いを増すハロウィンに集う人々@ひっかけ橋

もし、いくら退屈だったとしても、今なにをどうしたいを選べる選択肢を持っていること、そもそも自由に生きていること自体が「知足の精神」の本領発揮すべきところなんだろう。

時代が変わると人は言う。そしてその流れに乗り遅れるなとも。

時代や世界が変わったとしても、いつだって大事なのは自分がどうあってどうまわりと関係性を築けているのかだと想う。例えばこれを見ている人は少なうとも一人ぼっちじゃない。そもそも人間一人では生きていけないことは大昔の馬鹿な王様が証明している。

ましてやキャラづくりや仮想でしか自分を表現できない日常があるならまずはそこから変えていく。自分を変えていく。常にそうありたいと思い、挑戦させてもらっている。すぐにできなくていい。ただ諦めずにやろうとすることに意味が出来上がる。

仕事柄、自分も世の中も諦めている人に出会うと悲しくなり、逆に今を楽しめている人に会うと勇気づけられる。どんな状況であれ、これらに景気は左右せず、今の自分が試されていると想う。

だから愚痴や言い訳ばかりせず、どうかあの時思い描いたその人生を諦めないでほしい。

だって世界は今でも、あなたの思い通りに存在しているのだから。

初めて一人で訪れたホグワーツ

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