卒業〜自立に向かって〜

「ねー、うちやっと卒業できるんだよ!凄くない?褒めて褒めて★」

神奈川で散々ヤダヤダと暴れてきた問題児が髪も黒く(?)染め、あんなに興味の無かった「卒業」という言葉に喜んでいた。それを聞いて胸がいっぱいになり、頬を緩め頭を撫でた。

人は変われると、つくづく教えられる毎日。

この前フィジーから帰ってきたばかりの妹分しかりだ。彼女は高校卒業後、すぐに海を渡り、異国の海で生活していた。セカイを見て、自分と向き合い、目つきも覇気も上がっていた。帰国後3日目にして再会したが、どうやってであったかも忘れるほどにだ。

昨日も毎年来賓として呼んでもらっている高校の卒業式に行って去年のように胸を打たれた。此処の学校は不登校、引きこもりも含め、一度は諦めた学生生活に対して再度挑戦してくる子達が通える学校だ。僕が毎回胸打たれるのは最後のプログラムに組み込まれている保護者代表謝辞だ。様々な過去があったお子さんの晴れ舞台と来たら、鼻を啜る音だけが会場に響き渡り、神妙な面持ちになる。

人はいつしか学校だけではなく、こうして色んな卒業を繰り返していくモノなのかもしれない。いいものも、わるいものも。

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つくづく小さい自分なりに

僕らの日常で巻き起こる出会いは、いつも何かを咲かせる種で溢れている。

去年、SEALDs創設メンバーの奥田愛基君と企画したイベントに来てくれた女の子がいた。せっかく来たので奥田君に繋げたのだが、そのままSEALDsに入り、先日は遂に国会前でスピーチをしたらしい。いやはやそれがまたかなりいいスピーチで感慨深いが、こういう繋がりを創れたと言うことで企画冥利に尽きる想いだ。

彼女らもまた、せっかく見つけたSEALDsという自分を奮い立たせる場所からの卒業後、それでも終わらない民主主義を貫き、今でも街頭に勇気をもって立つ。

僕自身もまだまだ勉強も行動も影響力も全然足りない。未だに人に振り回されることもあるが、そんなときは深呼吸して大きな心を入れる器が欲しくなる。

もっと大きく、もっと広く、深く、自分や隣の人の声も、この世界に轟かせたいのだ。

そんな僕も、そろそろ親しんできた先生方への甘えくらいは卒業しなければ、先へ進めないだろう。

 師からの卒業

パレスチナレストラン「ビサン」での羊丸焼き会

自分に仕事や人生のイロハを教えてくれた人には、精神的にも現実的にも敵わないと思いこませられる。それはいい意味で世の中にはこういう人がいるなら、自分ももっと出来るようになりたいとワクワクするジェラシーからだ。

それこそがリスペクトすべき大人だが、何もその人のようになりたいわけではなく、自分は自分であることは忘れてはいけない鉄則。

僕にとっての「海の師匠」は、僕とは全く違う生き方をしてきていて、表現方法も違えばそのクオリティや人のつきあい方、イデオロギーや目的地さえ違うタイプの人間だ。それでも大きく影響されるのは、大きな恩があるだけではなく、その「違い」に憧れを見るからなのかも知れない。

もとはといえばブログ自体、彼に勧められて始めたし、僕に初めて本を読むよう言ってきたのも師匠だ。彼のように大雑把で大それたな行動は出来ないが、そろそろ先生を頼らず、自分自身で有ると言うことに胸を張れるようにならなあかんと思ったのは、このままじゃこれからこの人と対等には生きていけないと想ったからだ。それは、彼と肩を並べるほどの人間になるということではなく、彼が選ばなかった未来を選んだ人間として、それ以上のモノが見せたいと望むから。

彼らになくて俺にあるモノが執着やこだわりなら尚更だ。そんなことをずっと言われ続けてきたけど、そろそろ頃合いなんだろう。

やっぱりこのままの自分のスタイルのままじゃ足んないって思ってしまうから、それらを越えていくと決意を新たにした。

リスペクトする先輩、後輩らと。

なくなってから気付くモノ

そもそも僕が夜回りを始めたときから人と出会うたび目標にしてきたのが「卒業」だ。

僕は人を依存させたいのではなく、あくまで今より広い世界を感じてもらい、人の人生を知り、自由の使い方を繋げたいだけだ。その執着地はやはり自分で立てるようになることだから、そこを目指す。けれど、いざ晴々しく巣立って行く姿は、誇らしくもあり、また哀愁漂う切なさをも同時に噛み締めることになる。

これもまた人の持つどうしようもない矛盾の葛藤なのだろうか。

以前そんなことをいっていたら高円寺に城を構える「夜の師匠」に怒られたことがある。「そんな身勝手な卒業があるか!出会ったんならまたその人が帰ってくるときまで死ぬまで付き合え。それが健の責任じゃないか?」と。

久々に顔を出したその師匠が陣取る行きつけの店では、顔なじみの女の子が「SNS一気に辞めたら超スッキリしたー」と、なにか重たいものから解放されてリア充を満喫していた。

聞けば、その分周りの友達の近況がわからなくなり、そのまま疎遠になってしまってるらしい。けど今付き合ってる人とうまくいってるから幸せだというからなによりだ。

そこは行き場をなくした人々が集う人生相談的な占いスナック。人々は今日も悩み、師匠に人生をぶつける。

誰かを連れて行く度に「今のお前じゃまだまだだからな」と。

こんな夜は、無償に歌が歌いたくなる。

キョーダイ達から学ぶ唄から得る新しい世界

そんなときはいつも決まって誰かも唄を歌いたくなってる時だからタイミングとは面白い。

どんな気持ちも、その時に合わせて、それぞれが気の知れたメンバーの顔色を伺わずに自由に知らない唄を安心してぶつけ合える心の空間。

この前久々の顔が揃い、妹らといった時には下記の歌を初めて聴いた。

最後のフレーズに胸を捕まれる切ない曲だが、やっぱり僕はオリジナル版より、妹が歌った方がいいと強く感じた。

そう、僕らには「まだ出会わなければならない人たち」がいる。それを知らずに世界は語れない。

彼女らしかり、僕自身も独立出来るように、あくまで個であることを忘れずにいたい。

海みたいにもっとひろくなりたいから、まずは水たまりから目指して生きよう。

「卒業」とは寂しさが募るものではあるが、決してその出会い自体は、生きてさえすればどこかのタイミングがくるまで、それらは決して途切れることはないんだから。

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コメント

  1. 奈美 より:

    ダブロク楽しかったです。
    ありがとう、マーピープル。