「まずは自分が楽しくやる」ことについて

今僕は人生の岐路に立っている。というかその岐路すら選び終わって、ようやく公私ともに人生の大勝負に出るところだ。

日々、さすがに忙しい毎日がより加速して、正直疲れているという暇もないくらい走っている。

そんなときに、気のいい仲間らからよく聞く言葉がある。

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「まずは自分が楽んでね」

この言葉に出会う度に「そうだよなぁ」と再確認することも出来るが、基本「それが出来ないから大変なんじゃ」(笑)とおもう自分も居る。

だって変な話、しんどいことが多くて当然の日常の中で、だからこそふとした時に嬉しいことが特別になる。かといって、「それさえあれば何が来ても大丈夫」なんて事はそうそうあるものでもない。勿論これも感じ方一つなのだが、なかなか大変な時こそ人は視野が狭くなってしまう習性も持ち合わせているらしい。

それでも本当にこれを実証している人たちもいるから頭が上がらない。心底羨ましいけど、それに負けない大切なものは持っているつもりだ。いつもそこが盲点となる。

本当に、良き人々に出合えた事を幸運に思うと同時に、それこそそこまで散々動いてきた勲章とも言えるだろう。

だからこそ、僕はこの人達に嫌な想いは何があってもして欲しくないので、だからこそ「今を」楽しみたい。

そうすることでしか恩返しができないとも想っている。

それでも自分の小ささを知るエピソードは、こんな時だからこそ無数に降り注いでくる。

自分の小ささを知ったとき

誰かに会って、何かを見て、本当にやるせない気持ちになるほど自己反省する時がある。

それは自分の小ささの再確認か新たなる発見。

例えば映画。またしても数々の出会いの連鎖から見付けた映画に心動かされた。

シェアがしたくてフィルマークスに大事に上げる。例えば映画「タイヨウのうた」。

「そんな見方もあったのか」。「こんなの全然考えたこと無かった」。

この感覚に出会う時、これは怒られた時に近い。というか怒られる時によくある気付きそのものだ。

大事なのはその怒り方、伝え方だ。相手にすっと入って響かなければ意味無いどころではなく、逆効果になったりする時もあるから厄介だ。慎重に大切に伝え受け取る信頼関係がないと成り立たない。

けどそれと同時に、世界が広くなったこと、注意深くなれたことに素直に受け入れられたら、逆になんだか嬉しくなったりもする。その方が気持ちいい。じゃないと逆に超気持ち悪い。

クソみたいな失敗や、恥をかいて人は成長していくから、良くも悪くも感覚が研ぎ澄まされる。

塗り潰したい出来事を越えて、今日も共に生きる。

常に大きくならなければ行けないプレッシャーを抱えるよりも、こっちの方がよっぽど楽だ。まだまだ自分は小さいと受け止めながら、今日も最高の出会いに恥じても泥を塗らないよう、出来るだけ「楽しみながら」歩きたいものだ。

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