「小さな頃から」_「生きてたんだよな」

小さな頃から、滑らない話が苦手な僕はなにひとつまともなエピソードなんて話せないけど、それでもなんとか周りのみんなの力でまた一つ大きな波を乗り越えられた気がする。

そしたらずっとずっと思い描いていたものを遙かに超えるくらいの体験をさせてもらったような気がする。それはまさに、言葉に出来ないほどの想いを。

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思い通りに行かない現実の中で

ずいぶんと長い間ここを更新できなかったのは、それはそれは大きな一大イベントがあったのと、胸がいっぱいで言葉が出てこなかったとでも言っておきたい。

小さな頃からなぜか苦しいときは腐るほど言葉があふれ出すのに、幸せなときは何も書けなくなる。それは決して感情が麻痺しているわけでもなく、しっかりそこに感じることは出来るのだが、一切の表現がありきたりになる。

そんなとき、今までは全くと言っていいほど笑顔しかでてこないくらいの反応しか出来ずに物足りなさを感じていたけど、ああ、あれはあれで良いんだなと思えるようになった。

こんな時でも、それでも世界は回るし、一切待ってくれない。それが歴史の摂理だ。

国会前で政府に嘆願する祈りと想いが大きな声としてぶつかり合う中、早速次の大きな波が、人生の中で大事な試練を与えてくれる。

たくさんの大好きな顔に囲まれて

けど、本当にあの日のあの感覚は忘れられない。

走馬燈でもなく、ジェットコースターのようにたたみかけられる大好きな人たちが一堂に会した夢の空間。ずっと興奮し続けて、ただただ自分の小ささを突きつけられたようにも思うし、大きさに気づかせてもらったようにも想える不思議なシチュエーション。

間違いなく、希望も愛も、ここにあるんだなと確信できる目の前を抱きしめた。

あのあと一週間くらいはそんな感じで、ただひたすら生きた。

そしてようやく落ち着いた今、その次の波に備えて出航準備を整えている。

全く相手にしたことのない新たな壁を越えれると想うと武者震いすらする。思えばいつだって僕らはそうやって世界を回ってきたんだな。そんな出会いを重ねた中で、そんな人たちのお陰様で。

ゆっくりと近づく汽笛の合図に向けて

けどやっぱり落ち着くのは一対一のサシの場で、この間も書ききれないほどの大事な人々との時間を過ごしていた。

そのたびに想う。我が人生にいっぺんの悔いなし。今がどうであれ、そうやって毎日必死に選んできた未来の数々が目の前に横たわっている。

急にいなくなった大事な人、逃げに逃げて今向き合わなきゃいかなくなって首が回らなくなった人、長年の夢を叶えた人、今なお狭い選択肢を選ぶ人、相変わらず毎日不器用ながらに戦っている人、死んでも治らないであろうクソ野郎に出会うこと。

知らなくてもいいことはあるということを知ること。そして自分一人の時間。それこそがこれらをいっそう味わい深いものに仕立てる。

そんな中で一人の素敵な教え子が、名曲を教えてくれた。神戸港の夕暮れ時の船と海が見えるテラスで、あそこの会場である人の歌声を聞いて離れなくなったと。

大森靖子に出会ったときと似た後味がするこの感覚。

そう。出来ればみんな作品の中に出てくる最低の人間にはなりたくないと願って生きているのに、いつの間にかそんな大嫌いな人に自分がなっているという錯覚と誤解。

けど実は、それでもいつでも戻ってこれるよ。

それに気づいたことで、ようやく自分が変われる準備とタイミングを得たんだから。

大丈夫。思い通りに行かないことは、いつの間にか、それらを超えたときに逆に作用してまたここに、それ以上大きな宝物を携えて戻ってくるもんだから。

あの日の僕や、あなたのように。

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