信念の挨拶

年末年始。 ほとんどの人々は日頃の忙しさから解放され、ギュウギュウ詰めの交通機関により実家に帰るという時期。 実際帰ったってご飯食べるかテレビ見るかしかない中で、お金と時間をかけて帰路を進む。 僕が一年で最も苦手な時期なのである。
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正月は嫌い・・・だけど

回遊魚的性質の自分は何もない時間が苦手だから、昔から正月は苦手。

年賀状や新年の挨拶も苦手だけど、雑煮とお節と甘酒は好き。

ただ家族に気を遣わすのも気になるし、年々減っていく数少ない地元の友達と会うのもありだが、お金は飛ぶわ向こうの家族との調整もあるからなかなか実現できない。

見慣れた道、新しく出来た都内でよく見るチェーン店、無くなってた展望台、いつ来ても相変わらずのサーファー、様変わりした元バイト先。もうそこにあのときを過ごした人はいなくて、いても名前も思い出せない人も顔すら忘れている人々もいる。けど勿論、覚えている人の顔なんかも久しぶりに思い出したりしてる。

それでも逆を返せばこの時期ならではの時間の使い方もある。

呼ばれた気がした墓参り

そんな持て余した時間の中でふと呼ばれた気がして、同郷の端の町にある弟分の墓参りにいこうと思い立った。数ヶ月に一度は必ず会うママに連絡して快く時間を作ってもらった。

あれからもう5年半になる。何回来ても覚えられない電車の乗り換えと、奴が眠る墓までの道順。相変わらずのたんぼ道、吹き抜ける空と木々に迎えられて全く背景の思い出せなかった奥へ入っていく。

11年前、異国の海で語り合ったこと。二人で目指したものは今や海の奥底に一人で眺めることになり、あいつのやりたかったことはこの世界にあるのかどうかも風の彼方。いつものように最後の夜、現場に落ちてたたばこを祭壇に起き、一本火をつけて煙を噴かす。あのとき僕が手を合わせて投げかけた言葉。あそこにあいつが居たとして、おれからの話に本当はなんて返してくれたんだろう。普段はなかなか言えない胸の内を零して近況を話す。そしてそれに対してきっとおまえは「けんちゃんらしいね。いいじゃない。おもしろいね」と返してくれたんじゃないかな。

二人で目的地も決めずにバスを乗り継いで辿り着いた見たこともない海。想像以上に高い波を前に、俺らは水着を濡らさないまま顔を見合わせて語り明かしたあの時間。もうハッキリ覚えちゃいないけど、向こうから突進してきたでかい犬にかまれた俺に大笑いして心配してくれたよな。

あれ以来、つい先々月にあの島に行ってきたから写真を残すわ。

おまえが生きていたら今頃何を選んでいたんだろうと、いつも聴きたくなる。

少なくとも、5年前のようなことは選ばなかっただろう愛しき弟よ。おまえの分まで今の時代を体感してやるんだもんな。

新天地開拓

そしてそのままかみさんの実家に挨拶に行き、再来月から異動予定の新天地をさわりだけ歩いてみる。去年は公私ともに人生で一番忙しい年だったが、あと一踏ん張り。

長年駆け回った首都を離れるのは心許ないが、新しい冒険生活はわくわくする。

ゼロから覚えなければ行けない路線、文化、スーパーやランチの場所、行きつけの店。15年近く都内で暮らした手前、退屈しないか心配されるがそれも自分次第。ガキの頃から憧れた場所へ上洛する。

そこでもまた未だ見ぬ熱い大人たちやたまり場があるんだろうが、もしも無いなら船内と一緒で自ら創るまでだ。そしたら自然と早かれ遅かれ引き寄せ合うようになるだろう。

討論番組から見る民意

そして正月恒例の討論番組がいくつかあるが、毎回あがるテーマはおもしろいし必要なニーズだと思う。けどこれが結局毎回おもしろくなくなるのはそれぞれの知識や立場の争いで意地になり、プライドばかりが邪魔をしてからに一貫して人の話を聞かなくなることだ。そればかりかその進め方では視聴者をおいていく結果にも繋がる。そもそもどうやってキャスティングしているのかはわからないがメンバーのイデオロギーバランスが悪すぎるから出てきてもいいほどの「そもそも論的な話」がいっこうに出てこない。というか出せなくなる。それでは試聴者はついていけなくて当然。

前々回は勇気を持って学生代表で参加した若者が権力者たちによって袋叩きになり、今回は政治的発言をぶちかまして話題になった芸人がフルボッコに遭う。もはやパワハラを超えて人権侵害に近い。

メディアの中でメディアに出ている人間がメディアを堂々とディスり、一部からは評価されてきた出る杭や若い芽を一斉攻撃する。実に滑稽で不毛な議論でしかないのがもったいなさ過ぎてやりきれない。

いつぞやどこぞの海賊貴公子が群衆に対して言い放ったように、舞台に立つ勇気のない人間が誰かを否定する権利なんて無いだろう。

「覚悟なき者の声など世の雑音でしかない」

ある程度そのキャスティングがされた段階で予想されるであろうリングの中で、そこに立つ人間に対してリスペクトが無くなった人に何が言えるのか。権威を振り回して論破しようとする大人げないお偉いさん方に散々罵倒され、それでも必死に食らいつくお茶の間代表の視点は外せないほど大事だと思う。

ただでさえスタジオ外からもネトウヨや無責任な名無しの輩に攻撃を浴びせられるなんて筋違いもいいところだ。そこに立つ人の覚悟をわかってない。何の悪気があって言うのか。

知ってることが当たり前の風潮は本当にげんなりする。知らないことをぶつけ合うから素直に話が聞けるのであって、人の話を聞けない人は討論の場に出るべきではない。

だがあの円卓に座らなくたって、この国にはまともな大人たちが確実にいる。そんなその人らもあそこに出たらおそらく被害を被るだろうが、だったらそんな愛のない世の中ってなんなんだろう。人々はそんな光景を求めているのか?都合の悪いことには聞く耳持たず、話し合いどころか誰にでも簡単に話す言葉すら持ち合わせていない。立場やプライドが邪魔するなら、素直に見聞きできる覚悟や敬意を備えてから望んでほしい。関連するおもしろい視点も残しておこう。

http://lite-ra.com/2018/01/post-3711.html

こういう人らの論争や醜い喧嘩が嫌で現実から遠のいている民衆が居ると言うことも忘れないでほしいし、こんな場所じゃなくても話し合える場を今年も創り上げていきたい。

ということで今年も宜しくお願いします。

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