失いたくないものと欲しいものの葛藤

お寺での音楽と朗読のイベント。弟の祈りにも似たギターが響き渡る空間。

断捨離という言葉がある。こだわりも執着も捨てれば、ほしいものが入ってくるという。

人が大切にしているもの、もとめているものはそれぞれの価値観の元、千差万別である。

誰かが答えを持っているわけでもなく、自分が決めるものでしかない。

わくわくする夢、のめり込めるもの、理想の仕事、たくさんのお金、大きな愛。

けどその方向性自体がそもそも自分の求めていることと違ったら?

そして今やっていることが目的地と反対に向かっているとしたら、人は言動を改めるんだろうか。

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失いたくないもの

残りわずかな東京生活の中で、連日各種イベントに出かけている。

全く足りないお金、目の前に見えてきた戦争への無関心、生きづらい世の中での叫び、生きる意味を問う葛藤の末の生き方。

企画を創る人のメッセージと共に、今生きていることをそこにぶつける。

僕たちの世界は未だ終わって無いどころか始まってもいないことに気付かされる。

NGO非戦ネットのシンポジウム。どうやって人々に響かせることが出来るかは、僕らの課題

その中で時折、今と戦う若者の話を聴く機会がある。

「やりたいことがないから探しに行く」

「あたしはふつうになりたいだけなのに」

「生きづらさをこれ以上抱えたくない」

現在、この国では政府の判断により日常が奪われるかもしれない。向こうの言い分はその日常を守るため。この押し問答がずっと続いている。

平和ボケした毎日を必死で守る、自分のことでいっぱいになるほど追い込まれている国民。

このままですむのならこしたことはない。これは失いたくない日常。

けど、「希望は戦争」というくらい絶望的な毎日をおくる人もいる現代で、何もかも壊れたらいいと望む人もいる。これも現実。それでも自分が大丈夫なら関係ない?

だからこそ何もかもを失いたくなくて、体と頭を動かし、心を壊していく人がいる。

お金がないと不安だから、無理を承知で体と心を傷つけるバッドスパイラル。ただただ知らないだけで路頭に迷う夜の罠。いつの間にかに矛盾が生じ、それによって余計奥に奥に迷子になる。

人生うまくいかないことが多くて当然。だからこそ価値あるものに気付くことが出来る。知ること、失わないことを共有できる仲間や、共に戦っている共鳴が必要になる。その点僕らは恵まれている。ならば後はそれを胸張って選んでやるだけだ。またこけたとしても、周りは自分が思っている以上に手を伸ばしてくれる。

これらは本当に失いたくないものだ。

今を乗り切れる仲間といきつけの旅カフェ「エシカル」にて。

「もっと世界を知りたいんです」

そしてキラキラした世界を目指す若者の目は、知らないことを知ることに飢えている。だからそういう場に赴くことも出来れば涙も流れる。以前の僕もそうだったが、何か一つでもきっかけを見つけ、心が動けばようやく体も動くようになる。そうやって狭い世界にいた自分とさよならをして、今度は自分が眺めていた舞台に立つ。そしてまた自分の小ささと周りのでかさに震えて更に大きくなれる。

先日見たアイコちゃんのライブは「全ての生きづらさが報われますように」と一言添えてから始まった「されど望もう」。会場の雰囲気が一変する威力を持つメッセージ。

「生きてきた道よ、振り返りたくないから消えてくれ」。。。どれだけ大事な想いがこの1フレーズに詰め込まれて居るんだろう。

このところ安田菜津紀・佐藤慧、成宮アイコ、ドリアン助川氏、それぞれの魂の朗読を聴いて回ってきた。そこには血の通った命が躍動した言葉にならない言葉が詰まっていた。だからこそ、そこまで来られた人の目頭は熱くなる。日頃の自分の小ささに。未だ見ぬ世界の大きさに。それを感じさせてくれた人への感謝に。

やりたいことをやりたいままやるには、お金も名声もなさ過ぎる自分。それでもそうやってキラキラした笑顔を見せる若者の横にいられることが幸せに感じる。そう、これが自分の選んだ道だから、僕は共にその世界を学んでもっと広げたいのだ。

世界ハンセン病デーに早稲田大学大隈講堂で行われたドリアンさん達の朗読会「あん」

目指しているのはなんですか?

あなたにとって現実社会の中で求めるものはなんですか?

お金、仕事、家族、夢、趣味や学び、そして仲間達。

気がつけばいつの間にか迷路に入っている昨日と似た今日の中でも、単なる反復なんて起こらずに、時として少しの変化に敏感になる無情かつ残酷な素晴らしき日常。

そんな世界を広げる機会を求めている人や共有できる人々がいる限り、僕らは世界をもっともっと繋ぐことが出来る。

「やりたいことがわからないから今日来ました」という早大生しかり、渋谷のロフト9でも奇抜なスタイルの出で立ちで相当日々戦い抜いて居るであろう方々が来場されていた。その人達の普段を想像しながら思いを馳せる。

そこに行けば何かが発散されたり、再確認できたり、新たな発見や出会いが出来たりする。

誰でも忘れたいこともあれば、忘れたくないこともある。どちらかといえば後者の方が多い出会いの連続の中で、日々勉強と反省を繰り返す。

そうやっていつの間にか見失っていたものに気付いては軌道修正が出来たり、新たな指針に出会えたりするのも動いた分だけのお返しなのかもしれない。

年齢もクルーズもバラバラの日々学び会える仲間たち。

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