それでも続ける

心の真ん中にある天秤のバランスが崩れるとき、大事なものが揺れ動く。

いつもは無意識だけど、自分にとって大切な人が出来るときになるもの。それが人のツナガリ。

それらはいつも当たり前のように日常を彩り、今を共有できるものとして毎日欠かせない存在にまでもなり、いつの間にかずっとを求めてしまいがちなもの。もしくはそうであることがずっと続くという錯覚にも似た感覚に陥ることもある。その分、こういった出会いの化学反応は非常に心地いい武器にもなれば弱点にもなりかねない。けどそれが突然身近からいなくなってしまったとしたら、僕らはいつも通りの今日を楽しめるだろうか。

スポンサーサイト

あって当たり前のものなんて無いはずなのに

調子の良くないとき、たまには一人で、雪の中食べたかったものの食材を買い込み、見たかった映画を借りて一日家にこもっておもいっきりぶっ倒れてみる。映画は誰かの人生をのぞき見出来るから幾分視野が広がる気がする。

駅までの見慣れた坂道、最寄りのスーパー、使い慣れたカードケース、行きつけのラーメン屋。僕らの船、そこで出会った人とそれ以外で出会った人。

生きてるんだから、嬉しいことも、やりきれないことなんかはいくらでもある。

そして今までの人生を使って学んできた自分の中のセオリーもそれなりに積み上げてきてるはずなのに、肝心なときに対処できない厄介な難題とも遭遇する。そもそもそれぞれの当たり前自体が違うんだからずれて当然。逆に今までその歩幅があってきたことの方が奇跡に近い。

頭でわかってても結局出来ないこと。人生の試練。そんなことが最近すこし相次いだからこんな想いをここに刻んでおく。

時代も人も変わるもの

良くも悪くもいつだってそう。だから人の悩みは無くならない。

昨日まで使えていた物が使えなくなったり、新しい法律が出来たせいで街の一部が変わったり、大好きだった人が全く別人のように違うものにはまり、その面影をずっと求めてしまったり、一緒にいることが当たり前だった身近な同僚が居なくなったり。あげればきりがないほど世界も人の心も常に変わり続けている。

けど考えてみたらそれこそ当たり前で、何十年も変わらない場所で、メンバーで、人のつきあいが変わらない方がおかしい。世界の色んな推移を表すグラフは常に動いていて、人も成長すれば落ちるときだってあるから、そのときの興味や関心は常に移ろう。

わかってる。わかってるから受け止めきれないのかもしれない。大事だったら大事なほどに。

もし今までみたいに簡単に会えなくなった人がいたとしたら、もはや同じ空の下で応援するしかないのである。そもそももっとつらいのは、そうしなかったことによってその人らしくこのままじゃ居られないという状況に無意識に追い込んでしまうことだ。だから人が一生懸命出した判断をケチつけること何で出来ないし、それでもその人のHAPPYを変わらず願う。それが今まで日常にいてくれた人への仁義だろう。

それでもなかなかその心の穴が埋まらないから、人の代替えなんて出来ないわけで。そもそもその人の代わりなんて居たならどんだけ楽かと思ってもしまうが、そうじゃないから切なく儚い程に人は人を求めている。たぶんそれこそ「愛」と呼んでいいものなんじゃないだろうか。

人はどんな風に繋がっていくことが出来るんだろう

気がつけば近くにいた大事な存在。出会った頃からすれば想像もつかない関係性が創り上げられていき、いつの間にか離れられないものとなる。

けどそれは同時に世界の視野を狭めることにも繋がるから、僕の師匠は執着しない生き方を選んだ。どこまでいっても人は人で、自分は自分。

信頼している関係があるならなおのこと、相談なんて無くなって受け入れられる大人になりたいと思う反面、そんなのわかってたまるかというわがままな自分もいるから呆れる。

けど不思議といつだってそうなったらなったなりの自分の周りの関係性は補修されてきた。じゃあどうやってそういう関係は新たに再生し、創っていくことが出来るのか。これは周りのメンツによる変化も求められてきている。少なくとも、今まで通りじゃ通用しない今があるなら、それは互いに成長していかなければ求められない。

それこそが人を繋げていける姿勢だから。必要なときに必要な人はいつでも互いに引き寄せ合う。だからそのタイミングが誰かとずれたって、そんなの全然不思議なことではないのかもしれない。

それでも続ける。自分も相手も殺さずに

どんな出会いを繰り返したっていつかは終わりが来る。もしかしたら終わったことも気付かない人も中にはいるだろうが、今回僕が言いたいのは忘れたくない人たちのこと。

今関西に異動する自分も実際どうなるかわからないどころか、月末ではいよいよ15年近く住んだ東京を離れる。これから新しい地で、人間関係や行きつけを創っていくこととなるから楽しみ。地方に行っていきいき戦ってる仲間も少なくないからだ。

今なお共に船を出し続ける同僚は3ヶ月にいっぺんは港か事務所で会えるとして、それ以外のキョウダイたちとすぐ歌いにいけなくなるのは確かにストレスになるだろうけど(苦笑)

それでも自分自身、こことは違う変化と進歩を求めたからの選択。それは前述した人たちと何が違う?もしかしたらそこまで変わらないことなのかもしれないし、勿論仲良しこよしがしたいわけでもない。

全ては疑う余地もなく、それぞれが決めること。そこに相談があったらなお嬉しいが、無いからといって何が変えられようか。それを打ち明けられなくて苦しんでいる人もたくさん見てきたから、それだけが全てではない。

つまりはそれぞれの人生がそこに横たわっているのなら、その人の存在同様受け入れるべきなのである。野暮な言葉はいらない。けどその分の気持ちを今度は会えなくなる分しっかりしまっていようと思う。おれたちは多分、今は無理でも、次会うときが来たらあの頃のように笑い会えるだろう。だから

今日も変わらず、後悔無き航海を。

今まで共にいてくれた人への感謝を忘れずに

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする