関西だから会える人

少しづつ片付いてきた引っ越し先の我が家。まだまだ段ボールあけられてないけど・・・

関西に来てからあっという間に2週目。ようやく大阪でも人と待ち合わせ(王道らしきHEP5前!)が出来るようになってきたが、まだまだ時間が足りずに回りきれないほど興味をそそるものが詰まっている中で、ここならではの再会をいくつか果たす。一番古いつきあいでは僕が10数年前最初に地球一周した仲間から数年前に辞めた同僚まで。そんな中で最近よく聞く話は、本当にみんなこの間いろいろな人生を歩んできたんだなあと言う実感だった。

特に、やっと掴んだハッピーエンドから一転、人はいつの間にかそれすら失ってしまうこともある。それだけならまだいい。くっついても引き離されてもそれでも人は同じ空の下、それぞれの今日を生きていくのだ。

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船での出会いから

人には簡単に言えないこと。そんなものを胸に、今日もどこかで誰かが一生懸命悩んでいる。友人の有り無し、もしくはそういう話が言える言えないに限らず一人で閉じこめれるほかな人だっている。そんなことすらシェアできる仲間がいることは、世界を回ってきた財宝のように価値あるものだと自負している。

いつかの誰かの傷は、いずれ誰かの薬になる。夢を叶えて家庭を築けた、一見幸福しかないと思える仲間もこころという面で隣の芝を求めている心の友がいる。これらはHAPPYな事柄を並べるSNSでの投稿だけでは決してわからないことの一つだろう。いつもは強くキラキラして見える人でもそうやって弱いところを共有し、「自分たちだけでも大事なものを忘れずにいこうな」と言い合えることには向上しかない。

ある人は船から帰ってきたら最愛の人に突然の別れを告げられたという。それは日々の見えない積み重ねによるもので、理解できない・したくはない現実の中で身を焦がし、宛もなく街を彷徨っていたところを運良く捕まえた。すぐ帰るつもりが長話に。大事だった人が目の前からいなくなってしまう恐怖と喪失感は何度体験したってぬぐえない。あなたがそうであるように、その人の代わりはいないんだから。

どれだけ語っても、いつだって別れ際には再会を新たに楽しみにする。今よりも、どうか前に進めているようにと。

同僚が連れて行ってくれた間違いないラーメン屋の間違いない粋な計らい

絶望を乗り越えて

中にはもちろん聞くに耐えらないことだってある。

これらもまた時が解決してくれたものかもしれないが、そのいつかは突然今日来たりもする。そんなとき、自分の大事な目の前の人から零れる知らなかった事実は時に残酷で、今まで伝えられなかった意味すら教えてくれる。「あのときはね、本当にみんなに顔向けできなかったんだ」。

初めて聞く、そいつの夢と孤独な苦闘。それが知らない間に打ち砕かれ、たった一人で向き合い、いつの間にか周りにも支えられながらココまでまた会いに来てくれた。言わばそれだけで本当にうれしいことだ。だってまだしっかりと生きてるんだから。先日また一人、知人がこの世を去った。理由はわからない。それでも30と少しの人生を終えて、あの人の笑顔だけが脳裏に焼き付く。何があったかは知らない。中には知らないことの方が幸せなときだってある。けど、それも含めて誰かに手をさしのべられていたら、消滅するようなことがなかったとしたら、僕はいつでもその手を握り返したいと願う。

だから口癖のように「死にたい」と連呼する若造には毎回怒る。その気持ちもわかる。吐き出したいんだったらぶつければいい。けど、視野が狭くなったからといって投げ出すことが先決になっては何もならなくて当然だ。

先日東京から出てくるときも、ある妹分や生徒は泣きべそをかいて静かに叫んでいた。

「これから生きていく自信がないだよ」と。

それでも生きていく

そんなとき、いつも問われるのは「生きる意味って何ですか?」「もうどんなんだったとしてもいらないから!」。こういう言葉はさんざん聞いてきたが、未だに言われるたびに胸が詰まる。こんな想いをしてまでこの子たちは毎日を何とか生き延びている。

だからこそ聞かせてやりたいのは先述した再会してきたメンバーの話やツラだ。あの生き様を見ても同じことが言えるのか。おそらく僕の妹や生徒の心は動く。だってそれがわかるから苦しいのだ。このままじゃいけないと自分が情けなくなるんだ。けどそこに気づくだけでもさすが僕の周りの子たちだなと誇りに思ったりもする。

先日、東京最後に立ち寄った行きつけのパレスチナレストランで兄弟分に言われた言葉がこだまする。「これだから日本人は生きるの大変だよね。おれたちはコーランが教えてくれているから大丈夫」。人間ってめんどくせー。だから神でも何でもすがりたくなるし、そんな教えがあったらいいなと必死に実行してみる。

なんにせよ、実践して、失敗しなきゃ人は学ばないからそれはしたほうがいい。たいていの場合、自分を変えるだけのものに出会うとき、自分にとって大事な何かを失ってしまっているのだろうが、それでもそれを伝えてくれたのであれば安いものだ。その人がまだこの空の下で生きていて、自分も誰かもやり直すことが出来る。それだけで、もっと感謝しなくてはいけない。いや、心から感謝したい。無効がそのフォースを感じなくたっていいじゃない。こちらが精一杯そう思って生きることで、いつかは繋がるもんだろう。きっといつかは。

すべてを手に入れたままになんてすることは出来ないかもしれないけど、それでもまた時に任せていいツラして会えるように。

そのために僕は、今日も生きる。吐き出したい声をぶつけたい人の前で。

転勤先のデスク

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