今一度、X が必要な時代に

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「けんちゃんテレビでXのことやってたから見てみてー♪」

15の夜にXにハマってからというもの、Xのことがメディアに出るたびに仲間たちが教えてくれるようになった。

X JAPAN(全盛期:1989-1997)ヴィジュアル系という新たなジャンルを確立した日本を代表する伝説のロックバンド。

最近ではハリウッド監督に手がけられた映画「WE ARE X」などの露出もあり、テレビでもよくリーダーのYOSHIKI(Dr&P)が出演するようになった。昨年僕が見た映画の中でもダントツ良かったドキュメンタリーだったが、おそらくXファンじゃなくても好きになるんじゃないかと思うほど、客観的に見ても改めてすごいバンドだと再確認した。

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僕とX

僕の中で、未だに「パレスチナ」というフレーズと同じくらい神妙に反応する言葉「X」。

15歳の時に求めていたものがガッチリ手に入った電撃が体中に走った「刺激」。

特に将来に対する希望も見えない退屈な田舎町で育った僕に、世界を広げ、人の深さを教えてくれた永遠のカリスマhide様。

Xのファンと言えばいつも暴走族のような特攻服をまとっては気合い入れの円陣コールを組み、カラフルな髪を立ち上げては回りを威嚇しながらも、彼女たちが通った道はごみひとつ落ちてないというかっこいい方々なのだ。そして手首に包帯を巻いて、まさにライブのためだけに生きる。僕の住んでた千葉のいなかですら黒ずくめのかたがたがいた。

当時は地元のデパートで一晩並んでとれなかったラストライブのチケット。そのときに一緒に並んでいた中学の仲間らと組んだ初めてのバンド。それ以来未だに行けてないXのLIVE。

その陰には未だに引きずるhideさん不在の喪失感。勿論、TOSHI復帰後にそんな代役ポストをSUGIZOさんがやり続けていることも尊敬以外の念はないのだがなかなか足が向かないし、そもそもチケットがとれないという現実もある。

もともとなぜそこまでXにとりつかれたかというと、音楽以前に彼らの破壊や自傷、社会に対する徹底的な抵抗という表現に憧れ、そのときの自分が救われたからだ。その中でもギターのhideさんの影響力はでかいどころか、彼がいなかったら今の僕、いや命すら間違いなくなかったであろうそこまでのきっかけだったのだ。

my God of ROCKSTAR &guiter:HIDE

www.youtube.com/watch?v=8QW8HEJTFC8

名実共に神化した永遠のROCK STAR

1998年5月2日、享年33歳。日本中が震撼したあの日は今でも911、311に並ぶほど僕の中では大きいものとなっている。

「彼が亡くなった歳まで生きれたらいい」と決めていた33歳の誕生日には、これからも生きていくという覚悟と共に、今まで嫌いだった太陽の入れ墨を心臓の上にいれた。「自由のために抵抗する」というアラビア語を添えて。

彼の影響で始めたバンドで初めて「感情の表現」が出来るようになった。それからあらゆる音楽を聴いたけど、一周回っていつもhideさんの奏でた音楽に行くつく。それは多分僕だけじゃなくて、歴史に名を残してきた偉人たちと一緒で、死後にようやく伝説となって売れ続けるというのと同じくらい、常に時代の先をいっていたホンモノの証。

彼の言動から伝わってくるすべてが影響力でしかなかったそのエンターテイメントに対するこだわり。ファンへの愛。モンスターバンドにいながら常に奇抜をキープするセンスの固まり。

hideさんのことならいつでもずっと書ける文章。聞くたびに惚れ直すそのギターソロの奥深さと興奮のタイムカプセル。

今でもhideさん関連のイベントはしょっちょう行われていて、来月はhide個人を対象としては「JUNK STORY」に続く二本目の映画も上映される予定らしい。

X JAPANのギタリストhide ドキュメンタリー映画『HURRY GO ROUND』
hideの墓の墓石に刻まれている、事実上最期の楽曲「HURRY GO ROUND」の歌詞に隠されたメッセージを、生前のhideを知らぬ男、俳優・矢本悠馬(やもとゆうま)がナビゲーターとしてhideの最期の足取りを辿るドキュメンタリー。亡くなる前日に撮影された未公開映像の初公開を含む、今まで語ることが無かった真実が...

drums&piano:YOSHIKI

千葉が生んだ天才ヤンキーYOSHIKIから始まる名曲と伝説の数々。

最近も相変わらずのYOSHIKI節は炸裂しているが、昔はもっとその存在事態をオブラートに包んでいた。それだけに「WE ARE X」のカミングアウトはでかく、僕らファンでも知らなかったことが多かったのは「今だからこそはなせるようになった」ということ以外はないだろう。

あれだけの熱狂的ファンに惜しまれた解散後、鬱になってしまうのも理解できる。ミステリアスなカリスマは、僕らでは到底想像もつかないほどどれだけでかいものを背負っていたのか。

唯一無二の無敵バンドで一番無茶苦茶なボスが、今では人一倍の人間味を持つ数奇な人生を生き延びた更なる偉人になっている。それはそれで、少しでもこれまでの失望が晴れたんなら素直に嬉しい。

相変わらず50を過ぎても苦難の連続は続いているようだが、そこはXだから仕方がない。

そもそも10年にも満たない黄金期の中で、ドームも毎年末連日ソールドアウトにしていたモンスターバンドなのに発売されたアルバムは3枚(インディーズ時代の一枚を足しても4枚)だ。なのにベストアルバムは10枚以上出てるからうける。

けどとにもかくにもこの人がいてくれたおかげでXは生まれ、育ち、更に死の淵から再び伝説はまた生まれ変われた。

guitar&vio:SUGIZO

LUNA SEA&Xのギターをこなしながら難民キャンプ訪問や脱原発に力を注ぐ活動家

SUGIZOさんとはうちの船でのつながりもあり、以前からお世話になっているのと同時に、共通の友人のおかげで何度かお話しさせていただいたことがある。本当に素敵な方で、正直LUNA SEA時代は一番苦手なタイプだったが、震災直後にボランティアとしてうちの事務所に駆け込んできてくれてから、その印象は簡単にひっくり返った。彼こそが日本を代表するロックスターだろう。

今回のコーチェラフェスにおいて、一瞬だがビザの関係で米国入りができなくなりそうになったときの記事に胸を打たれた。

【緊急インタビュー】X JAPAN、<コーチェラ・フェス>にSUGIZO不在? | BARKS
ドキュメンタリー映画『WE ARE X』でも描かれていたとおり、X JAPAN及びYOSHIKIの身に降りかかってきた数々の出来事やトラブルは、そのひとつひとつを血のような汗と涙で乗り越えてきた、彼らの戦歴の一端だ...

そもそもこの記事を見てこの回のブログを書こうと想いたった。これは書かずにいられなかった。

一度銀座に飲みに行ったときも話してくれた、どこまでも大きいhideさんの存在。この記事を見ても伝わってくるが、かのSUGIZOさんですらここまでなるのは心からうなずける。

だってXのかみてというだけではなく、何よりもかのhideさんの代わりなのだ。テクニックの問題ではない。だから最初はずっと断っていたらしい。それもそのはず、SUGIZOさんにとってhideさんは尊敬する兄貴分。LUNA SEAをデビューさせたと言っても過言ではない方のポストなのだ。

そんな思いも募り、徐々に自分のものにしていく、もとい、hideさんに近づいていくSUGIZOさんのソロの経過が更に泣ける。

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今年もあの日が近づいてきた

拝啓hide様

あの惨劇から今年で二十年。僕も含めたこの国も世界もだいぶ変わりました。

それでもあなたがやりたいように奏でたホンモノの音楽と、命の叫びを求めて、未だにリアルタイムに生まれてなかった若い子ですらあなたに惹かれてます。

みんなに問われて大変でしょうが、今の世界をあなたが見たら、なんていう表現で返しますか?

hideさんを愛し続ける僕らはいつもそこを求めて世界を回り、今でも伝えています。

SUGIZOさん並の代役とまではいきませんが、限りなく、出来ることならそれくらいの想いで。

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