GREEN WORLD ボーカルTAKAくんお手製(彼曰く仕込んでくれた人は別なので盛っただけ)の絶品チキンカレー
今度京都のいかしたBARで講演をすることになった。グレートラックフェスの主催者TAKAくんが築いた京都西院BASE。京都に来てからここでのご縁は本当に大きい。繋げてくれたフォトジャーナリストの佐藤慧氏には大感謝だ。
そもそも彼らの周りには熱い若者が多いため、自然とONE PIECEのような漫画を好きな人が多い。ただの漫画ではなく、生き方としてとらえられる人がしっかりいるからそうなるんだろう。
好きこそものの上手なれ。人前で喋ることも、知識や文章にもたけてない一海賊が、船と陸の事務所以外でこの企画をやる日が来るとは。
地球一周で見た世界は、どことなくあの風景と重なった。
2005年2月。僕が初めて船出した地球一周の船旅。
今まで手に入れてきたものをほぼ捨てて、もしくは置いて横浜港を出航した。
あのとき僕が望んでいたものは、「世界のどこかで眠る仲間」と「生きる意味」だった。
それまで手に入れることの出来なかった人生の宝物を求めての個人的な冒険。
初めて一度に20ヶ国以上もの海外を回ってみて想ったことは主に5つある。
▼世界で最も自由があるだろう日本が、世界で最も自由を使ってないという感覚
▼どんな紛争や貧困で亡くなる方よりも、自ら死を選ぶ人がそれ以上に多い日本は異常な国
▼日本ほど自分の国でおきた歴史や今ある現状を知らない国はない
▼そんな事すら知らされてない日本の学校教育、メディアによる報道、家庭での伝承のなさに憤り
▼コミュニケーション力の低い日本文化を痛感
というところだろうか。
お陰様で人間不信を越えた人間嫌いを克服し、人一倍わからないことや人に対する興味をかき立てられ、非常に学ばせてもらった。そしてよくライブもフリーハグもしゃべり場も企画もした105日の航海だった。
そんなこんなで気付いた世界や日本の現状と信じられない歴史の数々。
もちろん「これが真実」なんてものはない。有るとすればそんな正義感やナショナリズムから人は武器を取って終わりなき戦いの歴史を更新している。人の数だけの歴史認識やイデオロギーやポリシーがあって当然。だからおもしろい。はず。
そんな中で僕なりに見つけた世界のかたちが今回の講座をやるきっかけになった。
「ONE PIECEから世界を読み解く」
大々的にこの企画名を使うのは内輪(船か陸の事務所)のみ。なので今回は「あの海賊漫画から~」にした。そもそもぼくが今まで見てきた世界の感動や惨劇は、まるであの漫画に例えられるほど巧妙なものだった。
「これってワンピースの○○の時みてーな話だな」。
そもそもこの漫画は現在世界40ヶ国以上で見られている漫画としてギネスにも認定され、海外のあらゆる街の壁画としても見かけてきた。
だが現実は漫画よりも残酷で、時に人の力に屈服されそうになるが、また人の優しさや大きさに包んでもらえることもある。そんな想いを込めて最初は300枚以上のスライドを詰め込んで創ったが、89巻を超える今も、会を増すごとに項目が増えていく。
いつもこれをやるときは決まって出航三日以内の船内の中ホール。そこにまだ船の生活も慣れない若者たち100人ちょっとが興味本位でやってくる。
そこでこれから見る世界の見方を少しだけ変えるために広く深い世界をざーっと伝える。世界のことは知らないけど、ワンピースなら好きで見ているという若者は多いから反応も悪くない。そもそも尾田先生が発言していたことでもないし、僕個人の見解なのでその意図はわからない。けど世界を知れば自ずと繋がる物語だ。勿論そういうことはワンピース以外だってたくさんある。どう受け取るかはそれぞれ次第。ただこんなきっかけがあったら自分ならもっと世界を知りたくなったり、今までの偏見がとれて全く新しい価値観を得られるかも知れない。
いつも決まって始めに言うことはコアラのこの言葉から。そしてこれがすべて。
「だってあなたたちのことを何も知らないから」@タイヨウの海賊団洋上にて
紛争、差別、難民、貧困、資源、教育、虐待、犯罪、独裁、革命、疫病、遺伝。
ぼくらは世界の断片しか見ることが出来ない。それでもそういった問題を今までどこか他人事のように想って眺めていたものが、急に肌に染みこんできて、いつの間にか「自分事」に変わる。だって僕らは選べずとも、そういう人々や歴史の上に生きているのだ。
伝えたいこと
僕がこの企画を通じて伝えたいことは至ってシンプルだ。
「あれは漫画だから」とか言う話ではなく、そんな現実を生きているのは僕ら自身だということの再認識だ。
あの世界もこの世界も同じ地球上でおこっている数え切れないドラマの中で、あなたは何を選んで生きているのか。例えば自分の好きなキャラがいるとする。その人みたいになれていなくても、そういう生き方を目指して、決して非現実的と切り離さずに毎日を送れているのかと。
大事なことは忘れないで欲しい。何で自分の好きなものが好きなのか。
あのとき流した涙もそうだ。
もし絶望的な現実があるなら、いつだってやろうと想えば目の前のセカイは変えられる。タダその選択肢も出合いも知らなかっただけなんだから。
いつの間にか僕らは日常に境界線を張ってないだろうか。なんかし言い訳つけて現実ではばかげてるとかなんとかかんとかいいながら。
もうそんな生き方はやめよう。誰得やねん。
そう想えた瞬間から始まる沢山のわくわくする現実。
これらは全部、僕らの人生で起きていることなんだから。
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