先日もまた凄い人とめぐりあった。
「私ね、人が大っ嫌いなんです」という神に仕えるべき仕事の方。
いきなり頭を殴りつけられた感覚で呼吸が一瞬止まる。そこからのコミュニケーションは有る程度探るものの全く出来なかったが、先入観とかも抜きにしてただただ哀しかった。
けど、よくよく想えば、この人ともっと早くに会いたかったなと想った。
そうしたら筆者の若い頃も、あんなクソみたいなスタイルで生きてなかっただろうから。
「人が嫌い」ってなんや?
これに関しては色々突っ込みたいところはあるが、今までこの人にどんな人生が襲いかかったのだろうと想像力を働かせてみても、全く見当もつかない人が極たまにいる。
そもそも人の気持ちなんてわからないものだが、相当なことがあったに違いない。もしくは、どんな愛情も受けてこなかったのか、思い切り裏切りを受けたのか、それともそれにすら気付けないほどカスなのか。
わからないけどそのどちらかが当てはまるで有ろう周りで生きている人が不憫に思えた。
かく言う自分自身も二十歳前後ではそうだったので偉そうなことは言えないが、少なくとも年輩の彼は数十年もそうやって生きてきたのか、最近そうなったのかは知らないが、とても残念な気持ちになった。
あえて素直に(かつ偉そうに)言うのであれば、「寂しい人よ、人を知り尽くしてからそういうセリフは言って下さい」と、そう言いたい。そもそもそんな時が来るのかは別として、そんな背中を見せて若者を絶望させるのはやめてもらいたい。
今まで会った人は勿論、これから出会う人にも失礼極まりない。その人らのことも知らないくせに。。。
「あんな大人にはなりたくない。その大人になってやしないかい?僕に出来る事って何だろう。僕に出来る事って何だろう。また歩き出す」♪「今を駆け抜けて」高橋優
人は全て、イメージ通りの現実を感じさせられる
出来ないと想ってるから出来ない現実を呼び、出来ると想ってた人がまた何かを達成して、前者の人間は更にひがむ。これは結構当たってると想う。
言霊。
自分が口に出して言ったことが、善くも悪くも自分に返ってくる。
それもまた想像力の世界。それこそ善し悪し含め、この世はそんなもののかき集めで出来ているようにも見える。
だからそもそもこういう話は誰のせいとか好き嫌いではない。全てはその人が生み出し、引き寄せていることなら何とも滑稽だ。
でも思い起こせば毎日はこんな事の連続で、「大事なこと」なんていくつも常に覚えていることなんて出来ないから、必死で意識をしてみる。それでも、みんな常に「万物の声を聴く」みたいに体にしみこませられるほど、僕らは卓越されていないから、目の前の事にせめてもの誠意を尽くす。
そうやって、目の前の優先順位を塗り替え続けて今がある。
だからあれもこれもしたいけど出来ないは、たまたまそこから漏れてしまっただけなのだ。本当に今それを欲していれば手に入るものばかりなのに、面倒くさいね(笑)
それでも僕らが毎日せっせと生きるのは、きっと自分のイメージから創られていくものなんだろうな。
そんな感じで、今日も大事な人たちの大事な時間も、煌めいて欲しい。
荒ぶる魂を感じながら、「こうできたらいいな」をなるべくイメージして。
コメント