「言われなくなったら終わりだぞ?」
昔からよく大人に言われていた言葉。こういうことかと最近気付いた悲しいこと。
自分はわからないことに罪はないと思うから、人が嫌な想いをするような言動をしている人には直接話すようにしているが、何回言ってもわからない人はいる。
すると周りは気付いて居るんだろうけど、そのなんでもないかのような空気に違和感を強く感じる。というのも、これはおそらく単なる価値観の違いではないような気がしてならないからだ。
逃げ続けた結果の痛々しさ
先輩は「こいつはいくら言っても仕方ないから他のところで頑張ってもらおう」として、後輩からは「この人終わってんな」と思っても口には出せない。直接伝える人も呆れて何も言わなくなるから見て見ぬふりをして、そうやって結局誰からも何も言われなくなる。
「おまえこんなこともわからねーで、今まで誰にも言われてこなかったのか?」という言葉がある。中には本当に言われてこなかった人もいるだろうが、大半は言われたけど流したり逃げたりでまともに教えてくれた人の言葉が刺さらなかったんだろうなという人がいる。それにしても最近はこの手の話をよく聞くし目のあたりにする。勿論俺がおっさんになったのもあるだろうが、原因はそれだけじゃないだろう。
だが早かれ遅かれ本人は気付くことになる。そんなとき、人はようやく自分のカスさに気付き、もはや変わらざるを得なくなる。それでもそれが遅いと厄介だ。その結果、頭の固い老害になるんだろうけど、そんな人らが社会を汚染していくから人ごとではない。
大概こういうときは「かわいそうな人」と思うが、その人がどういう人生を歩んできたかもどうでも良くなったりするものだ。だからこそ僕はその人生を聴いてみたくなる。
人が人を壊すとき
悲しいことだが、世の中にはいじめ、差別、DVなどが未だに根付いている。自分の周りでもよく聴くため、信じられない話や聴かなきゃ良かったと思うほどの話も含め、現実はえげつないほど残酷なケースが実にたくさんある。これらに対してひとつひとつ腹を立てていてはきりがないのだが、もし自分がそのままの感情でぶつかっていけば同じ穴のムジナになってしまう可能性もある。そしてそれでは何も伝わらずに余計な二次災害になるだけだ。ここがこの問題の難しいところである。
何らかの原因で、もしくは何もないけど愛無き環境にいたがために神経が壊れることも充分あり得る現代で、筋を求める方が困難な状況の方が圧倒的に多い。そこには仁義も糞もない。やるかやられるかの戦争状態。
そうやって被害者は終わりなき絶望へとたたき落とされ、また壊れていく。人の気持ちを想像することも知らずに。
ロッキンポ共のぶっ生き返し方
もうこれは永遠の課題だろう。
ロックで起たなくなったどこか感情がさめて欠落してしまっているような、筋違いな輩はなかなか胸に響かすことは困難だ。知ったこっちゃないだろうが、多分例え彼らの尊敬している人間にもし会えたとしても何の効果もないんだろうなとも思ってしまう。
闇の世界とはそういう狭い空間で行われる。
最近、空気を読まずにしっかりとその人のためを思って注意できる人が少なくなったと言うが、僕の周りではしっかり言える人が確実にいる。それこそ仲間。本当に誇りに思うし、そういう奴らが居なくなったらモラルも何もないあきらめの無法地帯がどんどん広がり、それこそ人の世は終わると思う。
それでも響かなければ変わらない。気付いてからでは遅い場合があるのなら、大半には伝えられなくても、諦めたくないのは変えたくない。いくら往生際が悪くても。
コメント