なんかある人が集まる日本の首都東京。
本場の業界にデビューしたい人、やることなくて夜の街に居場所を求める人、やりたいことがあって夢を追いかける人、仕方なくコンクリートジャングルに入ってくる人。
全国のみならず、世界中のおいしい食べ物があり、大体のことをやるには時間も場所も選ばない街。冷たいと言われる群衆の中でも、そのそれぞれに帰る家があり、ない人もいるが、なんとかここで色んなものを見つけたり、見逃したりしている。
やりたいことがない人にとっては地獄に映ることもあれば、それがある人にとっても過酷な環境を与えてくれる場所でもある。少なくともそう華々しいことなんか無い。
来週の月曜日にはその東京を去る。
僕がなぜそこまでして東京にこだわってきたのか、今日は話したい。
東京での青春
毎日どこかしらで行われている世界を広げるイベント、
憧れの著名人と会ったり飲んだりした講演会、
悩める年頃の若者集うシェアハウス暮らし、
行きつけの店、ライブハウスや単館シネマ、
声なき声で叫び続ける若者に会えた夜回り、
大好きな仲間と囲むBBQ。
会いたいときには大概いつでも会えた。
ガキの頃から憧れていた青い春は大体できた。どれも案外やれば出来るもん。
けどそんな何でも出来そうな気にさせてくれる東京生活とももうお別れ。
逆に言えばものや人に溢れたここによって視野が狭くなるのもまた東京なのだ。
それぞれの新生活
そしてそんな東京を離れるのは当然僕だけじゃなく、周りにも何人か居る。そんな人たちとの時間をしみじみ語り合う。
ある人は一緒になろうとしていた人と離れ、北の町に越すらしい。どちらかと言えば裏切られるかたちになったのにも関わらず、文句一つ言わず笑顔で現実を受け止めていた。「自分じゃなかったんだなって思ったら、またそれ以上の出会いがあるはずじゃないですか♪」と、カラッとしていた。
またここ13年間、一緒に船を出してきた同僚もこの地を去り、家族と共に新生活を始めるという。苦渋の決断。人生には本当にいろいろなことがある。彼がうちの船からいなくなることは確かに大打撃だが、俺にとってはその事実だけで少しきが遠くなるほど信じがたかった。けどまたそれもそいつの選んだ人生。心から応援する他ない。
やりたいことだけやり続けることの難しさもあるんだろうが、それすらもともとの足場を失ってしまっては本末転倒である。
けど結局、どこにいったってそいつらしく生きていてくれるなら、それに越したことはない。
この空の下で、どこにいようが僕らは出会ってしまった以上、共に生きることが出来るようになったんだから。
きっと僕らが思っているより、世界はもっと素晴らしい
そうやってまたいつもと変わらない朝が来る。と、思いきやこれもまた明後日からは突然景色が入れ替わる。そうやってまた新たなる日常を創っていく。
まるでこの日々が遠い昔になるのも時間の問題で、多分東京に出てきたときみたいに、あっというまにいくつものドラマが交差していくんだろう。
それでも、生きる。
今朝も早くから昔の生徒から泣きながら連絡があった。もはや寝起きにはついていけないほどの悲痛なる叫び声にも、簡単に会いに行けなくなる。けどおれは自分が関わってきた大事な人たちを疑わない。散々甘やかせてごめんな。
俺も毎日が挑戦だった。そんなことができなくなってきた時代に喧嘩を売るように。
確かにあいつの言うように、人生辛いことの方が多すぎる。生きている意味もわからなくなる。けど、だからこそうれしいことの価値を見いだせるようになる。そして自分と同じように苦しむ人の気持ちに寄り添える人に、ようやくなれるのだ。
週明けには京都へ向かう。
今まで散々、お世話になりました!
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